大阪頸損連絡会「頸損だより」2005秋(No.95)兵庫頸損連絡会だより~国会は解散したけれど我々の戦いはこれからだ~

頸損だより2005秋(No.95) 2005年9月25日発送

兵庫頸損連絡会だより

~国会は解散したけれど我々の戦いはこれからだ~


重度障害者の自立は国にとってはマイナスなのか?答えは簡単“NO”だ。それがなぜ我々の意見を聞かずして自立支援法案が出来たのか?そもそも国の役人は障害者にお金を使いたくないのが本音だろう。だからといって一律に自己負担金を取れば平等だなんてことをやるからおかしくなるのだ。そこでこんな提案をしたい。

自立支援法案が国会が解散したことで廃案になった。しかし、無くなったわけではない。国政選挙が終わると秋の臨時国会に再度提出されるようだ(この原稿を書いているのが選挙前であるので予想になり申し訳ない)。どうしてもこの法を作りたいと厚生労働大臣が言った。障害者には最適な法らしい。ここでちょっと待てよと考えると、支援費制度での予算不足が200億円ということだが、国会が解散して選挙になると500億~700億円もいるらしい。おかしいよ。選挙に行く人、すなわち投票率は30~50%強じゃない。そりゃ!100%選挙に行けば良いけど解散前を見ても自分も意見すらもたずに成り行き任せのような議員もいてる。皆が国民のこと、国のことを考え活動しているとは思えないように、そんなに立派な人が出てるわけじゃない。そんなのに多くの予算をかけてやる必要があるの?今の国会議員って、親子、兄弟、夫婦などなど身内で日本の国をもてあそんでない?あげくの果てに、総理大臣自ら自分の意見に逆らうものは切り捨てるなんか言って、刺客とか、対抗馬を出すって。刺客・・・子連れ狼じゃないよ。対抗馬・・・競馬と違う。こうなったら政治も私物化してしまえ!だな。選挙に500億もお金をかけなくても方法はあるでしょう。そこで提案、国会議員になりたい人が国会の玄関前に集まり整理券をもらう。そして、ビンゴゲームか阿弥陀くじで抽選。これならお金をもたない人も、ジバン、カンバンの無い人もなれる機会が多いにある。政党に公認されないから立候補するのをやめる人もいるようだ。公認されないでもやるという人もいるし、結局お国の為に身を置くのでなく自分のためだけの議員だったのかと思われても仕方がない。投票率が低いのは誰を入れても同じだと言う人が多く自分の生活に直接影響が無いと思って投票に行かないからだろう。選挙は厳粛なものだといった時代はもう遠い過去の話しになったのかもしれない。だからよけい多額の選挙費を使うのはやめて抽選で決めてほしい。立候補者もお金を使わずに済むので汚職が無くなるかもしれない。気持ちに余裕ができると落ち着いて物事を考えることができるだろう。

しかし、現実にかえればこの自立支援法案このまま通れば我々の生活を脅かすものであることには間違いない。“重度障害者の生活が破綻する法案には真っ向から戦う”

(文責:三戸呂克美)

<兵庫頸損連絡会活動報告>

6/19: 大阪役員会出席(森、三戸呂)
6/29: 県障害福祉課との団体交渉・ビラまき(宮野、三戸呂)
7/2: ボランティアイベント参加(森・宮野)
7/7: 事務局会議「全国大会報告書作成」(宮野、三戸呂)
7/14: 交通事故で入院。退院後リハビリで受け入れてくれる病院についての相談(三戸呂)
7/21: 事務局会議「全国大会報告書作成」(宮野、三戸呂)
7/24: 大阪役員会出席(坂上、森、宮野)
7/25: 学習会案内チラシ配布依頼「県リハセンター内各セクション」(三戸呂)
〃: 県リハ家庭介護研修センターにて介助中のヒヤリ、ハット事例ビデオ取り(三戸呂)
8/2: 事務局会議「行事打合せ等」(宮野、三戸呂)
8/8: 事務局会議「行事打合せ等」(宮野、三戸呂)
8/14: 頸損ドキュメンタリービデオ制作会議(宮野)
8/16: 星ヶ丘厚生年金病院から相談依頼、訪問(宮野)
8/18: 事務局会議「行事打合せ等」(宮野、三戸呂)
8/19: ユニバーサルデザイン全国大会参加(三戸呂)
8/21: 大阪役員会出席(宮野、三戸呂、森)
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大阪頸損連絡会「頸損だより」2005夏(No.94)兵庫頸損連絡会だより~全国頸損連絡会総会・兵庫大会終わる~

頸損だより2005夏(No.94)

兵庫頸損連絡会だより

~全国頸損連絡会総会・兵庫大会終わる~


大会終了の報告

大会実行委員会
代表 三戸呂克美

 

去る、5月7日、8日の二日間にわたり開催された全国頸損連絡会・兵庫大会を多くの方々のご支援、ご協力のお陰で成功裡に終えることが出来ました。当事者72名、介助者、ボランティアを含めると二日間で延べ約250名の参加がありました。

兵庫頸損連絡会が発足して2年が過ぎまだ組織も完全なものでない状態で主催者としての大役は不安との戦いでもありました。実行委員会重ねること10回。初日の大会をどうするか、二日目の総会をどうするか、何も決まっていない状態での船出は無謀ともいえるものでした。

今から遡ること二年、名古屋で行われた定例の全国代表者会議の席で、次回の大会を兵庫でやれないかという意見が出ました。発足してからの活動は年一度の勉強会が出来るぐらいの力があるだけで、大阪支部の協力がないと独自では出来ない状況でした。やるとしても兵庫県は広大な土地で北は日本海から南は瀬戸内海、淡路島も含めると多くの人が参加できる場所があるだろうか、アクセスの良い場所といえば鉄道沿線に絞られるが、と思いは不安の方に傾くばかりでした。 

しかし、大きなイベントをやることで在宅生活をおくっている頸損仲間を集めることができるならばとの気持ちに駆られ、やりましょうということになりました。会場の確保には多くの時間をかけました。しかし、何と言っても最初に求められるものとして財源でした。参加費だけでまかなうことには実行委員全員の反対があり財源確保は必至の条件になりました。反対理由として、参加費のみでまかなうには参加費を高く設定することになり、介助者と一緒となれば遠方からの参加が減る、もしくは来れないというのが一致した理由でした。幸い助成金については木口ひょうご振興財団からの助成を受けることができ、会場も鉄道沿線のホテル舞子ビラ神戸に決まり準備を進めました。

大会は、二部構成になっており初日は主催者が主体となったイベントであり、二日目は全国頸損連絡会の総会になっています。イベントの内容は主催者側にまかされていて、今回は「在宅重度障害者と当事者組織のあり方を検証する」といったテーマで行うことになりました。

講師には、頸損の大先輩でもありAJU常務理事の山田さんにお願いすることになり、講演終了後は仙台まで飛ぶといった忙しい中でも快く引き受けていただき、参加された方の感想は誰もがよかった良い話が聞けたといった言葉に我々主催者としてこの大会をやってよかったと思うばかりです。講演に続いて行われたシンポジウムには、各地域で活躍されている頸損連絡会の会員にシンポジストをお願いしました。静岡の井出さん、福岡の清家さん、兵庫の宮野さん、そして講師の山田さんにも再度登場してもらうという内容の濃いものになりました。

今回の大会の目玉はまだあります。それは、韓国の当事者を招待しての交流です。頸損者の生活は国が違っても大きく変わる事はありません。自立への過程での障害受容などは興味ある内容でした。

二日目の総会では、全国頸損連絡会顧問でDPI日本会議議長の三沢さんから、今、全国の重度障害者の生活がかかっている障害者自立支援法(案)についての運動の経過説明があり、会場からも時間を最大限に使用しての質問に関心の高さをみる事が出来ました。

また、特別発表では、大阪支部の赤尾さんのジョクソウとの戦いに勝利した報告があり、ジョクソウに悩まされている人にとっては光明を見出す報告であっただろうと思います。

今回の大会では我々頸損という障害を持つ重度の障害者が今本当に必要なことは何かを見直すことが出来たのではないだろうか。当事者組織が機能する原点、それはやはりセルフヘルプであろう。大会をきっかけに一人でも多くの方が自分の存在に気づかれたことを願い今後の歩む道を見つけていただけたなら主催者としてこの上ない喜びであります。

最後になりましたが、参加された皆さん、ご支援、ご協力いただいた皆さんのご健康とご活躍をお祈りして大会終了の報告とさせていただきます。

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2005年全国頸髄損傷者連絡会総会・兵庫大会

 2005年5月7日(土)~8日(日)の両日にかけて、全国頸髄損傷者連絡会総会・兵庫大会を無事開催することができ、全日程を終了いたしました。ご参加の皆さん、お手伝いをいただいたボランティアの皆さん本当にありがとうございました。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2005春(No.93)兵庫頸損連絡会だより ~全国大会迫る~ ~2.16大行進に参加して~

頸損だより2005春(No.93)

兵庫頸損連絡会だより

~全国大会迫る~

来る、5月7日(土)~8日(日)にかけて全国頸損連絡会の全国大会が神戸市垂水区にあるシーサイドホテル「舞子ビラ神戸」で開催されます。開催会場となる「舞子ビラ神戸」はJR「舞子駅」、山陽電車「舞子公園駅」下車7分の高台にあり、目の前には明石大橋がドーンと見える絶景のロケーションです。今回開催ホストとなる兵庫頸損連絡会は発足2年目を記念した記念事業でもあります。現在、兵庫のメンバーを中心に実行委員会を組織して準備を進めています。

全国大会は、年に一度全国頸損連絡会に所属する各支部が持ち回りで行っています。今回で32回目を迎えました。昨年は東京支部が、一昨年は大阪支部が開催しました。

全国大会では頸損に関する問題点の解決に向けての話し合いや、障害を広角的にみた現社会の情勢の中の問題点なども解決に向けて話し合います。一個人、一人間としての尊厳を失わないことの重要さとそれらを崩すことなく生きるといったことがベースとなる集まりであります。また、毎日の生活に不安を感じることなく安心して楽しい在宅生活がおくれるようにと情報交換の場でもあります。

今大会は、「在宅重度障害者と当事者組織のあり方を検証する」をテーマにし大会内容は、各方面で当事者組織を作り活躍されている方をパネリストに招き講演を聴きます。また各支部が取り組んでいる問題や得意とする活動を支部代表が発表します。そして京都大会に次ぐ二回目となる国際交流を今回、韓国からの参加者を招いて韓国の頸損者の状況、これからの課題などを話し合い交流を通して我が国の現状を検証します。

皆さんの参加をお待ちしています。特に、これから在宅生活や自立した一人暮らしを始めようとされる方にはぜひ参加されて情報交換されることをお勧めします。また、家族の皆さんも毎日の生活を他の頸損者はどのようにしているのか興味もあることでしょう。家を離れ違った雰囲気の中での会話も不安をなくし安心感に浸れることでしょう。会場での移動などのケアは待機してるボランティアがお手伝いできますのでご安心ください。お手元にお届けしました大会案内をご覧下さい。同封の葉書に必要事項をお書きになり4月10日必着で返信ください。ご都合で不参加の方は表面の委任状に必ず署名と押印をお願いします。参加してよかったと言ってもらえる大会になるよう実行委員会メンバー頑張っています。多くの皆さんの参加お待ちしています。

(文責:三戸呂克美)

2,16大行動に参加して

三戸呂克美

2月16日(水)天気は雨。昨日から吹く風に外気温はぐんぐん下がる。東京では先発隊が政府との交渉に入ったと大阪の鳥屋事務局長よりメールが入る。厚労省前に座り込んでの交渉団支援行動だ。寒さを通り越して冷たい中毛布に包まり抗議行動である。今、我々重度障害者が置かれている立場は微妙だ。支援費制度ができて重度障害者の自立した生活がやっと陽の目をみるにいたったと思った。しかし、国は予算が不足すると言って制度の改革に出た。その改革とはサービス使用料を自己負担させるというものである。障害基礎年金から払うのだがどんなに生活費を削ってもサービス使用料金自己負担分は払えないかもしれない。払えないということはサービスが使えないのである。サービスが使えないってどういうことと思われてるあなたにそっと教えましょう。それは、以前の生活に戻ること、イエイエそれ以上に悪くなるのです。昨年「介護保険に統合されたらどうなるの?」といった勉強会を開きました。自己負担が何万円と試算されたのを覚えておられるでしょう。あれが現実になろうとしているのです。今回の大行動もそんなことにはさせないぞ、といった抗議行動の一つです。

昨年10月に行われた大行動、11月3日にも大阪で動きました。今回の氷雨が降り続く東京の空はどうも我々の行動に歓迎の仕方を間違っている。いくら障害者が水分補給しなければならない身体だといっても限度があるやろ。熱がこもるのは夏場やちゅうのに。冷たい風まで吹いてたなあ。しかし、2000人規模の雨中行軍は道行く人には大きく訴えられた。自分の生活を守るのは自分だ、といった気持ちは持ち続けなあかん、と姫路の田村さんは酸素を吸入しながらの行動である。正に命がけだ。宮野さんは寒さのせいかチンコントロールの動きが鈍っているように見える。議員会館前で民主党、社民党、共産党の先生方がカッパを来て出迎えてくれるが道端での訴えはどのように映っただろう。その後は日比谷公園までの間流れ解散となった。

我々は厚労省玄関で雨具をとき一路東京駅に向った。今回の大行動で国会内では成果ありとの情報も流れている。しかし、油断は禁物、今後の政府の動きに注目だ。

以上、東京大行動の報告です。
<兵庫頸損連絡会活動報告>

1月26日

高槻市聖ヨハネ学園より電動車いす交付の件で問い合わせあり(無事交付されたとの返事)

2月8日

国立明石工業高等専門学校より福祉機器について問い合わせあり(福祉のまちづくり工学研究所を紹介)

2月16日

東京大行動参加

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2004冬(No.92)兵庫頸損連絡会だより ~自分の生活は自分で守る命を掛けた大行動~

頸損だより2004冬(No.92)

兵庫頸損連絡会だより

~自分の生活は自分で守る命を掛けた大行動~

兵庫頸損連絡会代表 三戸呂克美

台風、地震が日本列島を襲った。この原稿を書いている11月の時点では、被害も大きく復旧の見込みさえ立てれない状態だそうだ。崩れ落ちた土砂、陥没した道路、水に浸かった家屋・・・良くぞ無事に脱出できたと驚くばかりだ。阪神淡路の震災のとき私自身も経験した。怖かった、恐ろしかった。忘れようとしていたがこのたびのことでまた思い出してしまった。読者の皆さんも同じではなかろうか。

そんな大きく被害をもたらした台風が通過している10月20日、東京では支援費制度が介護保険に統合される反対デモが行われた。暴風雨に近い中2000人規模のデモは我々の生活危機を訴えた正に命がけの行為であった。

11月3日、大阪でも大規模のデモ行進が行われた。東京のときとは打って変わって当日は良い天気に恵まれ、大阪市内にある扇町公園に集結した当事者と支援者の数は初めの予想を大きく上回り1800人超の規模になった(実行委員会発表)。扇町公園を出発した隊列は御堂筋を通り難波までの約6キロを3時間掛けて行進しシュプレヒコールをあげながら道行く人たちに障害者の現状を訴えた。兵庫頸損連絡会も大阪頸損連絡会と共にデモ隊のしんがりをガッチリと務めた。

(文責:三戸呂克美)

 

情報保障を求めて

平岡直義 

2004年10月20日、東京・日比谷公園で冷えと雨で震えながら厚生労働省の電気がついているたくさんの窓を眺めていた。雲がぼんやりと流れていく。自身、聴覚障害で、直接支援費と介護保険とは関わっていないが、自立支援者の一人として、また一人の人間として、国で束縛され、拷問されるのをなんとか防ぎたかった思いも手伝ってのデモ参加でした。

さかのぼって、2004年8月22日明石港の防波堤の上で、たこ焼きをほおぼりながら港の人に「危ない、どけ」といわれながらも、ぼんやりともらったばかりの資料と到着するフェリーを眺めていた。

その日の13時30分に、兵庫頸損連の企画した「介護保険に組み込まれる支援費制度の行方」というテーマの勉強会に参加していた。支援費介護保険統合というフレーズが目立って聞かれるようになった時期に、支援費と介護保険を独自で勉強してきたのだけれど、支援費の利用者ではないのと介護保険の加入者ではないという大きなギャップにどうしても乗り越えられる事が出来ず、どういったシステムになっているのか、言葉だけでは理解しにくい自分としては、モデルを設定し、比較しながら進むという内容に参加してみようという気持ちになった。

ただ、気持ちとは裏腹に、手話通訳や、要約筆記といった情報保障がなされていないと、不安が出てしまい、引いてしまう。自分みたいに言葉を感じる事がうまく出来ない人には特にその手話通訳、要約筆記の需要性が高くなる。過去に裁判所や、色んなところに「用意出来ない」と言われ、一緒に傍聴する方や、参加してる方に手話通訳や要約筆記を個人的にお願いする形をとる時が度々あった。通訳者がいるのか、情報保障は出来ているのか、という事だけで安心感は大きいのです。肝心の内容や、入りたかった事が出来なかったり、自己満足や想像の領域で完了してしまう。

そんな中、この勉強会に参加申し込みする時「手話通訳の配置はどうなってるのでしょうか?」とメールしたところ、「確保します」とのお返事が早々に頂き、自身も参加者としてだけではなく、一人の人間として扱ってくれた事に、少なからず安心感と生きててよかったという安堵感、そしてやったるぞという気持ちが、同時に出てきました。手話通訳の用意だけでこういう気持ちが出るという事も単純だけど、自身に生きている強みがこみ上げてくる。

現在、まだ情報保障というのが、施設、駅や、交通などのバリアフリーと同列に扱っていない意識が今の社会には大きくある。見えない壁というのがもっともな理由だと思う。言葉は音声だけではなく、視覚的な言葉があるし、心の中にしか存在しない言葉もある。発して受け止めればそれが言葉として人々に存在していくのだけれど、発する事が出来ない、または受け止められない「言葉」も存在しています。自分はそれらを少しでも繋がる事ができた兵庫頸損連の動きに大きな感謝をささげたいと思います。

自分自身、手話でうまくコミュニケーションが取れないというのがあり、ちゃんとコミュニケーションを取る為には形よりまず人の良さを引き出す事かなと思っています。

支援費制度によるショートステイ利用

桜井龍一郎

 

10月の終わりから1週間ほどショートステイに行ってまして、三戸呂さんからそのことを書いてほしいと依頼されたときは、お受けしようかちょっと迷いました。というのも、このショートステイは私が日頃家族と暮らしているがために、家族の事情で必要になったもので、在宅介護サービスを利用して自立生活を送っていれば本来必要のないものであり、全国の障害者が地域で自立生活を行うことを目標に努力している中、皆さんに知っていただいてもあまり参考にならない情報かと思えるからです。それより、自立生活実践者の方から、その経験をお話いただいた方がよっぽど有益でしょうし、私の事例は世の中の障害者の目標に逆行するものではないかと思えるのです。それでも、参考にするかどうかは読者の皆さんに判断していただくということで、まずは自分の体験をありのままに書いてみようと思います。

支援費制度の居宅支援サービスにはショートステイもあり、今回この制度を利用しました。自治体への支給申請で月7日間の支給量を受けていまして、契約は以前に数度利用したことのあった、ショートステイサービスを行っている身体障害者施設と行いました。今回は8日間の利用が必要だったので、10月25日から11月1日と、月をまたいで計8日間の利用となりました。利用者が多く、1週間ともなる長期の利用はなかなか予約が取れず、今回の利用も半年以上前に予約を入れていました。利用している施設では最大で同時に4名までショートステイができ、予約状況が示すように、私のショートステイ中もほぼ毎日4名の利用者がありました。私は8日間の利用でしたが、私のように長期の利用は少ないようで、大抵2、3日の利用が多いようです。私と同時期の他の利用者も、だいたい2、3日で入れ替わってました。部屋は、2つが個室、1つがアコーディオンカーテンで仕切られた2人部屋で、私は2人部屋の利用となりました。個室は、共同生活に支障のある方に主に割り当てられるようです。利用者、また施設入所者は脳性まひの方が大部分で、頸髄損傷者はみた限りではいませんでした。

ショートステイサービス利用者担当のヘルパーは日中2名、夜間1名で、計10名弱ほどのメンバーでローテーションを組んで当たっていました。その他に全施設で看護師が5名おり、排便、膀胱洗浄は看護師の担当でした。一日のスケジュールは、7時起床、8時朝食、12時昼食、6時夕食、9時就寝、入浴は週3回、排便、膀胱洗浄は、こちらの希望で普段の生活通りそれぞれ週2回、週4回行ってもらいました。空き時間はもっぱら持参したノートパソコンで平日行っている仕事をしていました。ワイヤレスでインターネットに接続できる機器を用意して、初めの3日ほどは正常に通信できていたのですが、それ以降なぜかトラブルで通信できなくなり、これがちょっと痛かったです。それでもヘルパーさんはどなたも親切に介助してくださり、家の通りとはいかないまでも、快適な生活を送ることができました。

以上、私のショートステイ体験について思いつくまま書き綴ってみました。こんな状況から早く脱却して自立生活を始めろと、皆さんから叱咤の声が聞こえてきそうな内容ですが、それでも何かの参考になれば幸いです。

坂上さんが転落しそうになったノンステップバスは?

三戸呂克美

以前、会員の坂上さんがノンステップバスに乗り、降りしなに運転手の移動操作が悪く転げ落ちそうになったとメーリングリストで報告されていた。ノンステップバスとは、写真のように車いすごと乗れる路線バスのことである。

私は明石駅と県リハの路線をよく利用する。バス会社は神姫バスである。料金が安く(100円)、運行も平日は1時間に2~3本出ている。運転手がスロープの出し入れを行い介助者がいないときは介助もする。車内は座席を跳ね上げると車椅子用スペースになる。「固定は?」と聞かれるが断る。手すりを持つことでいけてるが危険だとは思う。身体の不自由な乗客が多いのでそれなりに運転はスローだが中にはへたな運転手もいる。しかし、何よりも安いのが魅力だ。利用することで運転手の技術を高めることになるだろうと思ってせっせと利用している。坂上さんが一歩も引かずに運転手、またバス会社に反省と今後の事故防止をうながせたやり方はありがたい行動だ。まだの方は一度利用してください。安くて病みつきになります。(くれぐれも乗降時、走行時は細心の注意が必要です。)

【主な活動記録】

8月22日 兵庫・大阪共催学習会『介護保険に統合される支援費制度の行方』
9月18・19日 全国代表者会議(神戸市舞子ビラ)
10月7日 明石市社協ヘルパー研修講師派遣
10月11日 兵庫県社会福祉事業団小野起生園保護者会講師派遣
10月30日 播磨看護専門学校 学校祭講師派遣
11月3日 支援費制度と介護保険との統合反対デモ参加

ナースから見た最近の医療現場【病院編】看護師 重田はるみ

さて、最近の時代の流れの速さには目を見張るばかりですが、技術が進歩し情報も大容量が瞬時にやりとりされる中で人も多様化しています。医療業界も大きな改革を求められていると思います。一番わかりやすい形ではTVなどのメディアでよく取り上げられている医療事故に関することでしょうか。患者さん本位の医療が求められるのは当然のことですが、知識が無ければ理解が難しい専門性や、今でも時々見かける「先生にお任せします」といった日本人独特の性質で長い間うやむやになっていたのだと思います。私は基本的にはコミュニケーションがしっかり取れていれば大きなトラブルにはならないと思っています。ドクターからの説明を患者さんが録音されることがありますが、緊張しすぎてたどたどしい話をしている研修医を見かけるとこれでちゃんと伝わるのかなと思ったりもします。デリケートな問題だからこそ信頼して本音で話せる関係を作っていくことが必要だと思います。私が働く病院でもサービスの向上を目指して研修をしています。患者さんからお客様という視点で捉えてホテル並みの応対をすることが主流になっていくでしょう。

長い不況が続いていますが病院も経営努力を求められています。正に生き残りを掛けた患者さんの取り合いが始まっています。コストの削減に事務方は必死の様相で現場のスタッフと話し合いを持つことも増えていると思います。本当に必要なことや医療の質は絶対に落とすべきではないと思います。

IT化の流れの中で在宅医療もますます進んでいくと思いますが、病院は患者さんの入院日数が減りベッドの回転効率があがることを考える背景もあります。ITといえばカルテの電子化ですが、すべての検査などのオーダーや記録がパソコンで処理され、患者さんを何時間も待たせることは少なくなると思います。

私は医療現場でナースとして働いていますが、最先端を行くアメリカに続いて専門性を追及する流れがあります。大学や大学院で研究をしたり認定看護師としてその分野のエキスパートとして現場で活躍するナースが増えています。救急や糖尿病、ガンなど14の分野があり指定の教育課程を修了する必要はありますが、看護ケアの質の向上につながっていくと思います。

とりとめもなく書いて来ましたが看護師として患者さんの代弁者の役割をになう者としてよりよい医療を目指していきたいと思います。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2004秋(No.91)兵庫頸損連絡会だより ~制度が変える重度障害者の生活~

頸損だより2004秋(No.91)

兵庫頸損連絡会だより

~ 制度が変える重度障害者の生活 ~

兵庫頸損連絡会代表 三戸呂克美

支援費制度が始まり一番喜んだのは重度障害者自身であろう。その次に喜んだのは、重度障害者をケアしている家族や周りの関係者だろう。その次に喜んだのは、仕事が無かった人かもしれない。その次に喜んだのは・・・と、多くの人が関り喜ぶ人が増えているのに今見直そうとされている。その理由も財源が無い、というだけである。支援費制度が始まった昨年の4月、多くの重度障害者が申請をした。その結果、地域格差が浮き彫りとなった。問題点も出ている。制度開始前に国が出した時間の上限問題が懸念されていたとおりに進んでしまい、今も尚且つ減らされているところもあると聞く。しかし、上には上があるもんで、制度さえ知らない役所の担当者がいるという。その自治体では申請者ゼロだそうだ。申請者がゼロといっても対象者がゼロということではないだろう。そんな、こんなも含めての見直しであればいいがそうでもなさそうである。

介助の仕事につき、収入があり、という事から経済が上向いているのもあながち支援費制度が関係していないとは言えないだろう。支援費で国が出したお金が200億を超えていると言うが、利用者がポケットに持っているわけではない。勘違いが生じる原因もここにあるのだ。経済効果・・・例えば、ヘルパーの資格をとり訪問介護員として事業所に登録する。そして在宅生活をしている重度障害者の支援費制度利用者宅で仕事につき得た収入で物を買う。これって生きたお金の使い方ではないだろうか。福祉は金がかかるといわれるが今に始まったことではない。そのつど新しい制度が出来また消え、と繰り返している。その背景には戦争と経済の浮き沈みがある。このたびの支援費制度も現在の社会情勢にもてあそばれているのかもしれないが、ここは我々当事者が力を合わせて守り抜かねばならないだろう。


『ヘルパーと支援費制度』

関西福祉大学 長野範子 

私にとってホームヘルパーの仕事から学ぶことはとても多い。障害者の方へのホームヘルプサービスは、100人いたら100通りの支援があるといわれているほど個別性が高い。その分、ホームヘルパーの力量が試されているようにも感じるが、まったく同じ支援が存在しないと考えると面白い仕事だとも思う。

2003年からの支援費制度により措置から契約へ変わり、障害者の方が自らサービスを選択していくようになったが、ホームヘルパーは利用者の意思および人格を尊重して、常に利用者の立場に立ったサービスの提供に努めることになっている。ホームヘルパーの仕事は身体介護、家事援助、移動介護、日常生活支援と、支援費制度の中では区分されている。まず、日常生活の基盤を支えることは基本であるが、障害者ホームヘルパーにとって障害者の方の社会参加、自己実現への支援も重要であると思う。人間にはいろんな価値観を持つ人がいるけれど、町に出ていろんな空気を吸い、情報を発信、受信し、社会を動かしていく。そんな障害者の方の姿に影響され、私はますます障害者ホームヘルパーとして役に立ちたいと思う。

支援費制度が始まって一年と少ししか経っていないが、介護保険制度との統合問題が浮上していることを知った。支援費制度の導入の際もサービス提供時間の上限問題等でばたばたとしていたように思えたが、支援費制度は二年で介護保険制度と統合されてしまうかもしれないと思うと、障害者の方が早く落ち着いて生活できるような制度にまとまってほしいと思う。今後、障害者福祉の分野でどのような制度にまとまっていくのかは不安だが、障害者の方の社会参加、自己実現への支援、利用者の立場に立ったサービスの提供ができるように、共に学ばせていただき支援していきたいと考えている。


≪施設生活の現状報告≫

(兵庫県内の施設入所中) 匿名希望

私は身体障害者療護施設に入所し約3年が経ちます。身体障害者療護施設とは在宅で生活するのが困難な重度障害のある方が介護を受け安心した生活を過ごす所です。

大まかではありますが私が約3年生活をしてきた療護施設についてお話させていただきたいと思います。まず入所者は50名おり、ショートステイで利用されている方もおられます。入所されている方の年齢は18歳から65歳までと広く先天性の障害の方や中途障害の方と障害もさまざまです。老若男女が揃いとても個性豊かな施設です。食事は朝・昼・夕食、食堂でみんな揃って食べます、体調を崩した方は居室で食事を取るので1人の顔が見えなくなるとみなさん自分の事のように心配し声を掛けてくれます。

また施設では年間行事として様々なイベントを利用者と職員が意見を出し合い企画し行っています。この時期だと花火大会などがあり私たち利用者にさまざまな工夫を凝らし綺麗な花火を見せてくれてとても楽しませてくれます、この他に勿論外出等さまざまなイベント、旅行などもあります。

やはりあくまでも団体生活なので面会、外出など自由ですが大変沢山の決まり事があります。すべての利用者がそれを正確に守っているからこそみなさんが楽しく毎日を過ごして行けているのだと思っています。

今年の4月から自治会が設立され施設を良くしようと言う話し合いも頻繁に行われるようになりました。自治会ができてこの施設も今よりもよりよくなることだと思います。

ここで少し自分自身の事を書かせてもらいますと、在宅では健常者の中に障害のある自分が居てと同じ境遇を持つ人が近くに居なかったので施設に入所して他の利用者の方との交流を通じ沢山の事を感じられますしいろんな事を学べます。とくに自分のすべての事に対する考え方が変わってきたと実感しています。

最後に療護施設の良い所ばかり書かせてもらいましたが、私も含め全ての利用者がこの施設での生活に満足しているか私にはわかりません。1人1人違う考え方があるのですから当然の事だと思います。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2004夏(No.90)兵庫頸損連絡会だより ~設立一年が経過した当事者の変貌~

頸損だより2004夏(No.90)

兵庫頸損連絡会だより

~ 設立1年が経過した当事者の変貌 ~

兵庫頸損連絡会が昨年4月に設立されて1年が経過しました。同時に始まった支援費制度(Wikipedia)は重度の障害を持つ者に大きな変化がありました。変化した一つに介助者探しがあります。制度が始まる以前の生活は絶えず介助者探しに多くの時間を費やしていました。それに費やすエネルギーは計り知れないものでした。制度が出来て事業所との契約で介助者探しからは解放されました。制度を自分にあったプランで運用され、家族、身内に頼っていた介助者も、肉体的、精神的に解放されました。しかし新たな生活にも慣れてきた矢先、今度は財源不足から来る国の安易な施策として、介護保険に組み込む話が浮上しています。介護保険に組み込まれるとどのようになるのでしょうか。現在の生活は維持できるのでしょうか。不安や疑問があふれ出てきます。それでは不安や疑問をどのようにすれば満足の行く解決が出来るのでしょうか。それには一人一人が解決に向かって進むほかないのです。しかし、一人の力ではどんなに頑張っても壁を越えることは難しいかもしれません。みんなの力を一つにする、そのために頸損連絡会があります。頸損連絡会は一当事者団体です。多数の当事者に共通の利益の実現を目指して活発に活動しています。

しかし、読者の皆さんも感じておられることでしょうが、目標とする利益(例えば:支援費制度)がたとえ獲得できたとしても、それを会員のみで独占することは出来ません。会費を払い、また時間や労動力を提供して会の活動に参加した人たちの成果を何もしなかった人がまったく同等に享受する事も可能です。すなわち「ただ乗り(フリー・ライド)」が容易に出来てしまうのです。しかし、会に入っても何のメリットもないと思われている方がおられるのならそれは大きな間違いでしょう。情報を集めるのなら今はインターネットで充分とお考えの方もおられるでしょうが、本当に必要とする情報は当事者から直接聞く生の声です。頸損連絡会がその重要な役割を担っていると思います。頸損連絡会に入っていてよかった、と言われる会を今後も目指して行きたいです。

(文責:三戸呂克美)

若葉がゆれる

吉田みち

山々が新緑につつまれ若さに溢れだすと、虫たちも動きはじめる。移り変わろうとするのは自然だけではなく、わたしたち人間の心と身体も同じように動きはじめる。

今年の2月に、ピア・カウンセラー養成講座を受けに私は東京に行った。まだまだ風が肌にさす季節だったが、穏やかな天候に恵まれ富士山が見えた。嬉しさの余り「アッ富士山!」と叫んで、それまで鼾をかいていたおじさんをも窓に目を向けさせてしまった。

最近になって私が感じている事は、何かが動く瞬間とは、静かな水面が一粒の小石によって波紋が広がるように小さなきっかけから始まるのではないだろうかと?

2002年の秋に私はピア・カウンセリング(JIL)集中講座を初めて受けた。その時、東京行きなど考えてもいなかった。ただよく解らないままながら、自立生活センターを三田でやりたいという思いが強くあった。

それは身体的には高熱や痛みや痺れ、精神的には障害を感じた日や哀しみなど、ひとコマひとコマが目を閉じると、ひとつの物語のように浮かんでくる。

砂漠を1人でとぼとぼと歩いているような淋しさを抱えていた頃、折々に出会った色んな人たちから、多くのサポートを受けてきた事をけっして忘れはしないし、こうして生きてこられたという意味について考えないではおれない。

振り返れば振り返るほど、それらの恵にたいしての感謝は大きくなる。

そして私のできる事はと考えると、もらった多くの人たちへ直接的なサポーターはできなくても、誰かのサポートをできるようになり、痛みを抱えた仲間との出会いを大切にしあう関係をつくる事だと思うようになった。

時代や社会と言うと、何か大きな問題のように感じるけれど、1人の人間から、一粒の点から、それらは繋がって出来ていくのではないかと思う。私もまた一粒の小石として小生意気でも水面に何かを投げかけたい。ピア・カウンセリングという手法を学んで、自立生活センターと呼ぶ輪を作りたいと、若葉の香りに刺激され、より強く私のこころが、いま騒ぎだしている。


私と頸損連絡会との出会い

八十原麻貴

こんにちは。理学療法士学生の八十原麻貴と申します。

いつもお世話になってます。頸髄損傷者連絡会にお世話になるようになったのは、約2年前からになります。当時は理学療法士の養成校の1年生で、何かボランティアをしたいと思い、ホームページで検索をしていた時にたまたまこの会をみつけました。定期的に勉強会やレクリエーション、役員会を行い、積極的な活動を行っている印象を受けて、お手伝いしてみたいなと思いました。

また、病院から退院された患者さんはどう生活していて、家庭に戻った時、どんな事に不便を感じ、何に悩んだり、困ったりするかを知りたいと思い、連絡会の皆さんからいろいろ学ばせていただければと思いもあって、参加させていただくことととなりました。

実際に行事に参加させていただいて、自分の経験不足から、何が必要で何が必要のないことかわからず、気をもむこともありました。

ボランティアは何かお手伝いをしたくて来ていますが、なにが過剰な援助で、なにが必要なことかわからずに変な遠慮をしていたりします。遠慮なく使って欲しいと思います。

また、頸髄空洞症や支援費制度について勉強会に参加させていただいて、合併症や制度に対しても、それぞれの受け取り方の違いや対応の違いに驚きました。いろんな独自の方法をご存知なのだなと感じてます。

1年生のころからお世話になっていますが、私も養成校の3年生となり今、病院実習中です。病院実習が終わったらまたお手伝いに参加できればと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2004春(No.89)兵庫頸損連絡会だより~移動確保の現状をかえりみよう JR転倒事故~

頸損だより2004春(No.89)  

兵庫頸損連絡会だより

~ 移動確保の現状をかえりみよう ~
JR転倒事故

姫路市 田村辰男

ついにJRでチェアメイトの転倒事故がおきました。以前よりその危険性が多くの障害者より指摘され、東京などでは次から次と廃止されていたにもかかわらずJR西日本の時代遅れの対応、もう、怒りが爆発です。ステッピングカー(チェアメイト)からの転倒は正確には階段を上りきった後、そのステッピングカーからの地面へ降車の際にスロープから脱輪、電動車イスごと転倒です。  

被害者のM君は頭部を強打、脳シントウでしばらく意識不明。救急車で病院へ直行。留置カテーテルも引っ張り抜け、多量の血尿。病院ではカテーテルの入れなおし。CTスキャンなどの検査。取りあえず、腫れなどがあるものの脳内は異常なしということで、その日に帰宅はしたのですが、その後、2日間にわたり38度以上の熱と血尿が続いたそうです。左肩打撲、顔面なども強打しており、食事をとるとコメカミやアゴがズキズキと痛み、夜も眠れず大変に不自由な思いをされました。  

精神的なダメージも大きく。もう二度とJR姫路駅は怖くて利用できない、かなり離れてはいるが新幹線を利用する際には「エレベーターがある新神戸駅にする」と言っていました。彼のトラウマはしばらく続きそうです。もちろん、電動車椅子は修理が必要です。  

さらに問題なのはJR姫路駅ではステッピングカーの危険性を全く理解しておらず、エスカレーターより安全とこれからどんどん使うつもりでいるのです。 説明に来た助役が逆に「ステッピングカーが危険」と障害者団体などが今まで要望された例があるのですか?と聞き返される始末です。 ホント、ふざけていますよね。 

参考資料→DPI日本会議(公共交通機関での事故-チェアメイトの危険性)(HP管理人追加)


2003年12月3日

JR西日本 御中  

兵庫頸髄損傷者連絡会
代 表  三戸呂克美

バリアフリ-に関する要望書

拝啓、平素より、貴社におかれましては、公共交通事業にご尽力くださり、心より敬意を表します。  

当会は、頸髄損傷者を中心とした当事者団体です。(詳しくはホームページをご覧ください。)  

去る、10月26日(日)午前11時40分頃にJR姫路駅新幹線ホームにて、ステッピングカー(キャタピラ式階段昇降機、別名チェアメイト『写真参照』))を使用中、当会会員のM氏が電動車椅子ごと転倒落下し頭部を強打、救急病院へ運ばれるという大事故が発生いたしました。すでにそちらにも連絡が入っていると思います。  

さて、当会ではこの事態を重くとらえ、ステッピングカーの危険性を指摘し、改善を求める必要があると考えます。多くの障害者よりその危険性が指摘されているのです。東京の障害者団体からは要望書が提出され、JR東日本を始めとする関東の鉄道各社では具体的対応策が取られております。ステッピングカーは、すでにその危険認識のもとに、過去の遺物とさえなりつつあります。  

よって、以下について当会は要望します。
1. 先ずはステッピングカーについて現状把握を行ってください。  

JR東日本を始めとする関東鉄道各社がステッピングカーについてどのように対応しているか調査してください。さらに約50台のステッピングカーがJR西日本管内に配備されていると聞きましたが、それらの駅で何の問題もなく使用されているかどうか。何度も使用されている駅であればあるほど危険な事実があったはずです。障害者からは危険であるとの不安の声はなかったか。また階段昇降中に「滑り」やまた危うく転倒しかけたなどの事実がなかったか。
2. その結果に対する対応策を直ちに実施ください。  

全ての駅にエレベーターの設置がもちろん最善策ですが、それも諸事情ゆえに直ちにその実施も難しいと理解しております。その場合、暫定的な対応としてエスカル(階段斜行リフト)の設置をご検討ください。なおエスカルは関西では阪神三宮駅や阪急河原町駅に設置されています。 (参考資料)http://www.kotukodo.com/syoukouki.htm
連絡先(兵庫頸髄損傷者連絡会)    

〒674-0068 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通2丁目3-5-1-205
三戸呂(みとろ)克美(かつみ)
TEL/FAX 078-934-6450
E-Mail: hkeison@yahoo.co.jp  


 

再び東京駅

吉田みち 

2月7日あの日が甦る!約7年前、この場所、東京の駅長室。私たち3人は大阪府立身体障害者センターで、共に1年余りを過ごした仲間である。15,6年のブランクを於いて再会してからは年に1回、1泊旅行をするようになっていた。最高11人で城之崎の蟹づくしの旅などもあったが、この時は3人での潮来(茨城県)からの帰りだった。新大阪で新幹線の切符を買った時のように、東京駅で切符を受け取った途端、手動車椅子の1人を見てその切符は引っ込められてしまった。窓口の向こう側から駅長室で待つように言われる。脳性麻痺の2人と松葉杖だった私たちは窓口と駅長室を行ったり来たり、その内に見ていた若い女性が一緒になって抗議をしてくれたが、待つこと延々。もともと早い時刻ではなかったのだが、駅長室に駅員が来てくれた時は、もう新大阪着の新幹線が名古屋乗り換えしかなくなっていた。結局は困った駅側からの手配で夜行バスに乗って夜明けの大阪に帰った。3千円という安上がりは良かったものの、車椅子が1台で付き添いがいないという理由からお金を突き返された事は納得のいかないものであった。電動や車椅子の仲間をいれた当時の私たちは、自分の事は自分でまかない、お互いに助け合いながらも介護者を必要としていなかった。 ピア・カウンセラー養成講座を終えての帰り、電動車椅子に乗って、いま介護者と娘との3人連れ、おなじこの広い障害者トイレ付きの駅長室に来た! 少し離れて向かいの切符売り場の窓口を見て、当時の私自身を思い出し妙な気分に襲われる。1種の1級でも歩けたあの頃との違い、表面的ではなく実感として感じる。指を黒豆大福でねばねばにしながら、置かれた長椅子が以前とちっとも変わらないような気もしていた。  


重度障害者の移動の現状

三戸呂克美

  重度障害者の移動手段は公共交通機関のみといっても過言ではない。それは、安い、安全、早いと言えるからだ。多くの障害者の先輩が移動確保の運動をして今の移動の形ができた。乗車拒否や対応の遅さ、まずさで、乗りたい列車に乗れなかったと言う話もある。今でこそ、重度障害者が一人旅をできるようにもなった。しかし、前述の吉田さんの記事は、障害者の自立が理解されずに厳しかったときのことを思い出されたものだ。また、田村さんの記事は先日のことだ。JRになり体制は変わったといわれるがまだ旧国鉄時代の考えで仕事をされている人がいるのが現在の実態である。要望書を出しても何の返事も無い。「まだこんなことをやっているのか」、と移動問題に取り組んでいる仲間は言うに違いない。  

兵庫県内の鉄道ネットは寂しい限りだ。南から北に行くのは2本の路線しかない。福知山線と播但線だがそれも車椅子だと入り口が狭く、おまけに列車の中に階段があり乗れない列車もある。都市部を走るのは電車だ。電化され多くの乗客を運ぶのだが、地方に行く列車はディーデル車だ。当たり前だが、電化がされていない路線に電車は走れない。高速道路はたくさんできた。まだまだ作ろうとしている。六甲山のお腹は多くの自動車用トンネルで蜂の巣状態だ。しかし、鉄道の路線は無くなる一方。高齢社会が迫っていると言いながら道路ばかり作っている。将来誰が通るのだろう。  

JR明石駅にある看板には、「速さはJRのあかしです」と書いてある。速さだけでなく、安く、安全、を目標にしていただきたい。我々は今一度、「安全な移動の確保」という会設立時の目的に立ちかえる必要がある。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2003冬(No.88)兵庫頸損連絡会だより~支援費制度開始6ヶ月を振り返って~

頸損だより2003冬(No.88)

兵庫頸損連絡会だより

去る、11月16日(日)兵庫県明石市において『支援費制度6ヶ月を振り返って』のフォーラムを開催しました。今回開催したフォーラムは兵庫頸損連絡会が発足して県内で行う初めてのイベントで大阪頸損連絡会との共催でした。

当日は週間天気予報によれば大雨のことでしたが、なんと!予報を覆しての晴天、しかも寒くもなく、暑くもなく頸損の我々にとっては外出日和と天も味方してくれた当日でした。参加者の出足も早く開場時間の13時には多くの方が集まり準備で受付をお待たせする状態でした。

アンケートには、次回も是非参加しますと、支援費制度(Wikipedia)に関心が高く自立生活には欠かせない制度であることを再考したフォーラムでした。

(三戸呂克美)

支援費制度開始6ヶ月を振り返って
~ 支援費制度の上手な使い方 ~ 報告

11月16日、お天気良し、また交通便も良し、「秋の勉強会」にふさわしい会場で、初の兵庫頸損連での行事が約50名という参加者の熱気に包まれて、明石城の南下「明石生涯学習センター」にて開催されました。

兵庫頸損代表の三戸呂さんの、にこやかな笑顔とご挨拶は温かい当日そのものであり、パネリストの桜井龍一郎さん、廷澤庸行さん、宮野秀樹さんの、お話は「支援費」に対する濃い中身で時間はまたたくまに過ぎていきました。

(1)1週間のケア計画

(2)支援費以前よりよくなった点

(3)支援費以前より悪くなった点

(4)「こんなことにも支援費が使えますよ」とアピールしたいこと

以上の配布資料によりパネラーの方からの報告がそれぞれあり、頸損と言う同じ障害でも、介助を必要とする度合い、生活様式また思考による違いを抱えて問題が活発に出されました。

支給量の使い方では、事業所との関係によるケア計画、曜日と時間帯のやりくりなどに対する質問の中で「もう少しわがままな障害者になってみては如何でしょう?」と心強い意見がありました。

またこれから支援費を受けられるご家族と、パネラーとの応答では、「必要な事はすべて言うように」「時間をかけて(頑張りで)出来る事」は「できません」と言うようになど経験者でないと言えないアドバイスがあり、あらためて行政に対して自らのケア計画を示す必要性を学んだひとときでもありました。

市町村による差、個人的な選択、工夫などとこれから先も「支援費」は目の離せないものの、自己決定する生き方、自立した生き方をしようとする仲間で溢れた会場からは、時には爆笑も響き頸損会の頼もしさを感じた1日となりました。ただひとつ司会進行をして下さるはずの、坂上さんの体調がお悪く参加されなかった事は大変残念でした。

三戸呂さんお疲れさまでした。大阪頸損のみなさまありがとうございました。

(吉田みち)

『主な質問とアドバイス』

(注:アドバイスはパネラーの皆さんの経験によるものです。)

質問1.事業所の探し方をどうしたら良いのか?~事業所を探すポイント~

  • 頸損の仲間から聞き出す
  • 行政で市町村の事業所一覧の資料をもらい電話を入れる
    • →事業所の良・悪は言わない
    • →電話を入れ、実際に来てもらう
      • ☆電話対応は良いが、実際のサービスが伴わない事もある
      • ☆「 来て下さい。」と言われる事業所は辞めておいた方が良いのでは・・・
  • 会社組織でしている所は利益が上がらなければ潰れてしまう可能性もあり、後で困る事もある
    • →補助を受けている事業所はどうか (NPO法人とか)
  • 訪問してくれる(来てくれる)人が好きだからお願いしている
    • →自分が来て欲しい人を探すのも一つかも
  • 複数の事業所を利用してみていい所を探す

質問2.日常生活支援はどう申請するのか?また、移動介助はどういった時に使用するのか?

  • 自分たちでケアプランを立ててみる
  • 現在、付き添っているところ(介助が必要なところ)を時間にしてみる
  • 利用者本人からの希望がある程度、取り入れられる
  • 長時間の介護(身体介護)の場合、日常生活支援に入りやすい
  • 身体介護であるという事を伝える
  • 移動の中に、支度や移動先での部分も含まれる
  • タクシー事業所でないと、リフトワゴンの運用ができなくなった ※ タクシーか、市のリフトワゴンの利用が可能月4回等、決まった回数で、定額料金で利用できる

質問3.ショートステイはどう利用するのか?

  • ショート枠は別にあり、申請する

質問4.身体障害者へのケアマネージャーは必要か?

  • 必要な方には必要ではないか
  • ケアマネージャーが決定してしまうようでは、ちょっと・・・
  • 主体は本人であるので、最終的には本人が決めるのが一番
  • ケアマネージャーが決定権を持つのは良くない
  • 介護保険とは理念が違うので、必要ないのでは。アドバイスしてもらえれば良いと思う。
  • 支援費制度もいずれは介護保険制度に吸収されるのでは・・・

《 まとめ 》

障害があっても自分の生活は自分で創る。支援費制度も利用しよう!!

(文責:三戸呂克美)

<兵庫頸損連絡会だより>

~頸損連インターネットNEWS・兵庫編~

桜井龍一郎

毎号「頸損連インターネットNEWS」を担当しております桜井です。すでに皆さんご存知かもしれませんが、じつは私、大阪だけでなく兵庫頸損連のホームページも担当しております。ということで、今回はいつもの原稿に加えて、兵庫頸損連のホームページにつ

いての原稿も書くことになりました。つきましては兵庫頸損連ホームページの開設から在までの経緯を簡単に紹介いたします。

兵庫のホームページを作る話が出たのは2003年3月だったと思います。大阪の場合は、私個人用のサーバスペース内に設置したため、ホームページアドレスに私の名前が出てしまったのですが、兵庫では専用のアカウントを取得し、ホームページアドレスもすっきりさせることができました。会の紹介や、サーバ備え付けのカウンターや掲示板、チャットルームを設置した程度の簡単なページ構成に、テキストベースのこれまた簡単なレイアウトで開設にこぎつけたのは兵庫頸損連発足の少し前、2003年3月15日でした。

その後、会の沿革、設立の案内などを追加し、5月にレイアウトを少しましなものに変えて、現在に至ってます。ということで、まだまだ内容的には不十分なホームページですが、今後少しずつ充実させていきたいと思っていますので、大阪ともども兵庫のホームページもどうぞよろしくお願いいたします。

「兵庫頸髄損傷者連絡会」

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2003秋(No.87)兵庫頸損連絡会だより~支援費制度になって思うこと~

頸損だより2003秋(No.87)

兵庫頸損連絡会だより

支援費制度になって思うこと
4月から何が変わったか?

よしだみち

この自問は頸損になって5年、自分の生活について拘りが始まったからとも言える。若年性リウマチで元々1級の障害であったけれど、福祉課に行くのは自助具の相談か高速割引をもらうかくらいで生活支援は受けないでいた。私は障害と共に育ってきた中で生活の仕方はそれなりにできていたからである。しかし頸椎C5になって二年三ヶ月の入院生活が終わり在宅生活になるとホームヘルパーを頼まなければ何一つできない。けが以前は障害者と呼ばれてもひとりの人間には変わりはないと思っていた。けれどもこうした生き方を理解されるのは大変難しく、措置制度では「して上げる、して貰っている」といった関係から出ることができなかった。

こうした時に「自立と社会参加」「自分で選べる」など謳われた支援費制度(Wikipedia)が始まった。自分なりの生活を考えて講演を聞きに行ったり、インターネットで調べたりしながら、支給量の時間内での介護計画を始めた。一ヶ月が過ぎて吃驚、第5週日によって時間量が足りない! 日曜日は同居人がいてヘルプ無し、日数だけの支給量は元々出ていない。この日から電卓片手の毎日、あなたにとって生活は何からと聞かれたら一番に「排泄介助」が現実。頻繁なトイレを中心にした時間割を組まなくてはならない。家事は一時間からしか取れない、トイレは身体0.5がいる。0.5の世界でこんなに悩まされるとは思ってもいなかった。第五週の多かった7月は最悪で60の移動介護を全部使ってなんとか過ごした。市にも3度目の変更届けを出すと、私のファイルをパラパラしながら担当者曰く「結局はじめから(変更時間)同じなんですね・・・」「当たりまえでしょう!」と大きな声で言いたかった。人間の生活が時間道理にすべて行われる方が不自然で大変な事すらも理解されない言葉。まだまだ続く0.5との攻防本当に疲れる支援費制度である。

支援費制度勉強会のお知らせ!!

【開催要項】

  • 日時:2003年11月16日(日曜日) 午後1時~5時
  • 場所:明石市生涯学習センター 8階 学習室3 (アスピア明石北館内)
  • 交通アクセス:
    • JR明石・山陽明石駅南口から東へ徒歩3分
    • JR大阪から新快速で34分、JR姫路から新快速で22分
    • 阪神梅田から直通特急で58分、阪急梅田から特急(高速神戸乗り換えで58分)
    • 車で来る人はアスピア明石駐車場を利用。(身障手帳持参で半額になります。)
  • 問い合わせ先:三戸呂克美まで
  • メール:hkeison@yahoo.co.jp 電話:078-934-6450
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