「縦横夢人」2022年冬号(No.35)2022年3月7日発行
特集
「身近なバリアフリー」
-バリアフリーの事例や課題について考える-
身近なバリアフリー
𠮷田 一毅
世間一般的なバリアフリーの認識は、バリアといえば物理的な段差、それを解消するスロープはバリアフリーといったところでしょうか?頸髄損傷者にとってはどうでしょう?私も、アクセシビリティ、ユーザビリティといった移動の自由を制限するのがバリアであり、それが解消されていればバリアフリーと理解しています。
世間一般の認識であれ、個人の認識であれ、バリアフリーという概念はバリアの存在が前提なのだろうか?やや腑に落ちないところもありますが、そう理解する方が分かりやすいです。
○バリアフリーは特別か?
例えば、スロープ。階段とは別にスロープが併設されているのをみつけ、スロープはこっちにあったのか…などとホッとしたり分かりにくいなと思ったりした経験、多かれ少なかれあるかと思います。確かにスロープでバリアは解消されています。しかし、スロープがみつけにくかったり、急であったり長かったりすれば、人によってはフリーという程ではないかもしれません。
もちろん、社会の全てのバリアを完全になくすことは現実的ではありませんし、正解のバリアフリーもないでしょう。しかし、バリアフリーは特別なモノなのでしょうか?
私は個人的には、障害者差別解消法に示されている合理的配慮という概念は、バリア解消に現実的だと思っています。バリアフリーが理想的でなくても、曲がりなりにもバリアフリーが普及するなら良いと思っているからです。先ずは、公共の場では、全ての人に、移動の自由が確保されなくてはなりません。使いやすさももちろん重要です。が、先ずは、せめて移動不可能を解消できないか?例えば、トイレは多機能になるとともに、広く大きくなっているように思います。最新のトイレは利便性が向上し、良いことだとは思いますが、このまま普及していくのだろうかと疑問に思う気持ちもあります。
○ 特別でなく当たり前に
バリアフリーを必要とする障害者は、何でもかんでも一方的にバリアフリーであることを求めている訳ではありません。当たり前のはずの移動の自由を得るために、バリアフリーが必要なだけです。もし、ハード面で不足があれば、ソフト面で補うという方法もあると思います。使う人皆が譲り合いの精神を持ち、お互いが少しずつ不便を共有して補い合うことは可能です。
バリアフリーが特別でない社会はきっと、バリアも、そしてバリアフリーのことも、意識する必要がない社会なのでしょう。
○身近にあったバリアフリー
随分前の話ですが、セルフの飲食店でこんなことがありました。学生ヘルパーと2人で食事をし、食事を終えて席を立つ時のことです。トレイを返却しようとして、自分の荷物はどうしよう?席に置いておこうか、後で取りに戻ろうか等と2人で話していると、隣の席で食事中の家族さんが、トレイを持って行きましょうか?と声をかけてくださいました。当時の私はそんな経験は初めてで、嬉しいというよりもびっくりしました。こんなことあるのか!と。そして学生ヘルパーは、温かい気持ちになりましたととても嬉しそうでした。
誰もがバリアフリーの必要性を知っていれば、誰かがいるだけでバリアフリーがあるのかもしれません。この時、私は、それまで自分が知らなかっただけで、バリアフリーは身近にあるのだと気付いたのでした。