「頸損解体新書2010」の魅力とは 前東洋大学教授 北野誠一

        「頸損解体新書2010」の魅力とは

大体、まっ黄っ黄の表紙に、こわもてのタイトルと、サブタイトルの「ひとりじゃないよ」や、かわいいイラストとのアンバランスは、「こりゃなんじゃ」といった感じなのだが、充実した中身がはらむ、際どさというのか危うさをそれが表しているというべきか。
第Ⅰ部では私が知っている人も何人か出てくるのだが、多くの人が登場する中で、それら一人一人の人生について再度向き合ってみることの、なんという興味津津の覗き観の快感と、それを晒すことによって、他者、特に同じ障害をもつ仲間を抱きしめようとする者たちのくそ力。こんないい本を、自分だけで、仲間だけで楽しむのは、もったいない。
17年前に出た報告書と、現在では、社会の理解や介助等のサービスが図られつつあるとは言うものの、それでも、日常生活に欠かせない介助の中心は今も家族構成員であり、移動支援の不足によって、特に都市部以外の人は、就労も社会参加も困難な状況は変わってはいないことが、第2部や3部の調査報告で納得させられる。
坂本さんが「あれほど外に出るのを嫌がっていた俺が、・・。長かったが、俺には25年が必要だった。25年があったから今がある。負け惜しみじゃない。人はそれぞれ。」といいう言葉に思わず頷いてしまい、宮野さんが「セルフヘルプ(活動)に携わり、目的を持って生きている今日に至るまで長い時間を費やしたと感じている。人は、これまでの道程が決して無駄ではなかった、意味があったから今があるんだと言ってくれるかもしれないが、私はあえて在宅での10年間は無駄であったと考えたい。」という言葉に迸るものを感じ、二人がともに、いまの一瞬一瞬の大切さと、頸損連絡会活動や仲間の人生を思う心に打たれる。
「自分がどん底に墜ちたとき救いの手がさしのべられ、夢が、希望の芽が出たときの歓びを思い出し、相手のために精一杯働けたら、また自分の人生に活かしていけるとすれば、障害はプラスにしかならない。」と、山田さんが仲間の会で、頸損歴52年の先輩として語るとき、私は、多くの頸損者がそう思える一瞬があると心から信じる。
自分が頸損者ではないのに、こんなことを書いていいのだろうかと思うようなことを、おもわず書いてしまった。この本を、多くの人の読んでいただきたいと願う。

                  前東洋大学教授 北野誠一

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