特集『障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-』 「縦横夢人」2018年春号(No.20)2018年5月14日発行

「縦横夢人」2018年春号(No.20)2018年5月14日発行

特集
『障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-』

特集『障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-』(PDF)
 障害者差別解消法が2016年4月1日に施行されてから2年が経ちました。施行当初は、行政や事業者が障害を理由とする差別をなくすための取り組みを積極的に行い、各地域において障害者や一般市民向けのセミナーやシンポジウムが開催されることをよく耳にしていました。しかし、開催情報は次第に少なくなり、現状では障害者差別解消法の理解を求める動きはやや鈍くなったような気がします。来年には法律の見直しがが行われますが、今の状態では我々の生活をよくする法律となるかは疑問であり、「差別をなくしたい」という理想が遠退いていくことを危惧します。
 今回、兵庫頸髄損傷者連絡会・機関誌「縦横夢人」では、「障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-」というテーマで特集を組むことにしました。差別の捉え方・感じ方は人それぞれですが、「差別」自体はごく身近に潜んでおり、いつ我々の前に立ちはだかるかわかりません。そういう「身近にある差別」を今回の執筆陣は事例として挙げてくれています。そして、「差別された」だけではなく「こんな良い合理的配慮を受けた」という好事例も挙げてくれています。良くも悪くも今回の特集が、「差別とは何か?」と我々がこの法律をどこに導かなければいけないのか?を考える機会になることを願っています。                                (宮野 秀樹)


障害者差別解消法って何?

宮野 秀樹

 障害者差別解消法が施行されて2年が経ちました。この法律は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」という長ったらしい名前が正式な名称であり、それを略して障害者差別解消法と言います。「障害による差別を解消し、誰もが分け隔てなく共生する社会を実現すること」を目的として制定されたものではあるけれど、「何が差別で」「差別をしたらどうなるか」を明確に示されたものではありません。誰しもが持ち得る「バリア」に対して社会全体が「気づく心」を持ち、柔軟に対応していくことを求める法律なんです。「差別はアカン!」というのは当然なのですが、この法律では「これは差別に当たるんじゃないのかな?」と考えたり、「こういう配慮が必要なんじゃないのか?」と気づいていくことが重要だととらえています。そして障害を理由に差別することをなくすために、個々の障害に対して理解し合い、お互い建設的に解決策を探って、問題の解消を推進しています。「どういうことが差別なんだろう?」と考えることはとても大切です。

 そもそもなぜ障害者差別解消法はできたのでしょうか?経緯としては、2006年に国連総会で採択された国際人権法に基づく人権条約である障害者権利条約に、我が国が2007年に署名したところから始まります。障害者権利条約とは、「障害者の人権や基本的自由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進するため、障害者の権利の実現のための措置等を規定し、市民的・政治的権利、教育・保健・労働・雇用の権利、社会保障、余暇活動へのアクセスなど、様々な分野における取組を締約国に対して求めている(内閣府ホームページから引用)」条約なんです。署名したことにより「批准」といって「条約や協定といった国際的なルールをうちの国も取り入れて守ります。」としなければなりません。批准するために条約が求める国内法を整備する必要があり、障害者に関する様々な法制度改革が行われました。そうして2014年に国連事務局が「日本が批准した」ということを承認してくれたことによって、批准前に成立していた障害者差別解消法が、2016年4月に施行されたという流れになります。

 施行されたときは、国内初となる「差別をしたらアカン!」と定められた法律として、その施行日を「誕生日」として祝い、障害者たちの間ではウェルカムでした。各自治体、様々な事業者もこの法律に則るために、障害を理由とする差別をなくすための勉強会や研修、様々な取り組みを積極的に行いました。障害者の間でも法律を実効性あるものとしていかにブラッシュアップしていくか、そのためにセミナーやシンポジウムを開催して周知活動を行ってきました。しかし、施行から2年が経つ現在では、ややその勢いは沈静化してきたように感じます。我々の生活の中でも、法律の効果を感じることは少なく、私の周りにおいても、この法律の認知度は「ある程度」の感が否めません。当然、法の趣旨が十分に周知されているようには思えません。
 障害があるなしに関わらず、「その人らしさを認め合いながら共に生きる社会」を実現するために制定された法律であると考えています。現状で見えている課題をどう解決していくのか?この法律をどう育てていくのか?を法律の見直しが始まる今年度から問いかける必要があります。これは、障害者やその関係者だけの問題ではなく、社会の中のすべての人に問いかけられている課題だと思います。再度確認すべきは、障害者差別解消法は「障害者」だけに特化した法律ととらえられがちですが、障害のあるなしで対象者が分けられる法律ではありません。社会的に弱い立場の人、「らしさ」が認められず生きづらいと感じている人、多くの方がこの法律の効力により守られるべきです。
 差別が生み出す「生きづらさ」を知り、障害があるなしにかかわらず、差別そのものをなくすきっかけ作りとしなければならない、障害者差別解消法とはそういう意義のある法律なのです。


「私が受けた差別と合理的配慮」

米田 進一

 障がい者差別解消は、長年私達にとってとても重要な問題であり、誰しもが様々な解決をしていかなければなりません。
 近年では、バリアフリー法が当たり前になっていると思われがちですが、視点を変えてみると、まだスロープの設置やエレベーターの場所や広さは統一されていない事が懸念されます。
 私達が使用する電動車いすの大きさは、メーカーやオーダーメイドによる独自の改良をする事によって、サイズや重量が多種多様になります。それによって、エレベーターがギリギリ乗れる所もあれば、余裕で乗れるエレベーターもあり、目的地に行くまでに苦労することがあります。
 公共交通機関を使うときに感じる事ですが、私は人工呼吸器を使用しているので、駅員は私に話しかけず、介助者に話しかけている事があります。駅員からすると私に話しかける事が失礼と思われているのか定かではありませんが、当事者の立場からすると、遠回しに「話せない」と決めつけている様な感じにもとらえます。
 思い込みではなく、誰しもが気持ちよく社会参加をしたいので、何度も利用している公共交通機関の関係者には、一刻も早く差別的な行動を改善してもらい、利用者にもっと認識をもって対応してもらう必要があると感じます。

乗りたい電車に間に合う様に時間を調整し、家を出ているつもりですが、駅に着くと「乗車予定の電車をご希望の際は、10分以上前に来て貰わなければ、降車駅との連絡が着かない為、1本後の電車にしてほしい」と言われることも少なくはありません。
 そうなると、時間もずれ込み間に合わない大事な行事なども遅れてしまいます。余裕を持って予定を組んでいても、電車の遅延によって遅くなることもあり、逆にその遅れた責任はどこにぶつければ良いのでしょうか?遅れた分の料金は返金されませんし、勝手な都合による社会的な差別が未だ当たり前に続いている事から改善されないと何も変わりません。
 電車だけではなく、バスも使用する時に感じる事ですが、車いす優先座席と書いていても、乗客は当然の如く車いすの方の姿がなければ平然と座っています。私達が乗車をすると分かると中には座席を空けてくれる人もいますが、「チッ」と聞こえる様に舌打ちをして、不機嫌そうな顔をしながら座席を空ける人もいます。
 その光景を見ると、私達が乗車する事がわるいように見えることが腑に落ちません。
 中には運転手も面倒くさそうに乗車の準備をする人や運転が荒い時もありました。人の命を預かる職種の方が、その様な行動を平気でする態度に私は呆れてしまいます。
 
 今の世の中、何が差別の原因になっているのかを考え、根本から変えていくことが差別解消に繋がるのだと思います。

 公共交通機関で電車を利用する際、スロープを用意して貰わなければホームと電車の隙間があるため、乗車出来ないのではじめから設置されていれば、乗りたい電車にも待つことなく乗れ、ストレスも解消されます。
 また、お店にスロープが設置されているとバリアフリーと言われますが、大きい電動車いすが店内に入ろうと試みても、入り口で旋回する事もできず、店内にも入れない事は、当事者側からすると、もう少し店内の配置や、どんなタイプの電動車いすでも入れる様な工夫をしてもらう事が、本当の合理的配慮というものだと思います。

 それを例にした写真を次に挙げています。

 上の写真で見て分かる様に、大阪モノレールでは最初からスロープが設置されています。この状態なら、スムーズに電車が乗れて快適に移動する事が出来ます。このシステムは嬉しいですね。
 私が知る限りでは、沖縄県の“ゆいレール”のスロープは、電動ボタンの操作で上下する様になっていました。その様なシステムであれば、待ち時間を気にすることなく、快適に公共交通機関を利用する事が出来、社会参加する車いすユーザーが増えていくと思います。

 通常は駅員がスロープを用意して、写真の様に乗り込む際に補助をしてくれます。この体制が普通になっているため、乗りたい電車に乗り遅れたりすることや、連絡がうまく伝達できておらず、降車駅に駅員がいないことがあって、凄く焦ったこともあります。他の事例で挙げると、電車に乗り込む際にスロープ板が「バキッ」と割れた事もありました。その後は重量に耐えられる簡易式のスロープも増え、便利になってきていますが、店舗等にも常備されると良いですね。

 上の写真は、某飲食店のスロープですが、少し傾斜はありますが、入り口も広く大型の電動車いすでも余裕で入ることが出来ます。店内のテーブル配置も店員さんが車いすでも利用しやすいように配慮してくれた事がとても嬉しかったです。

 上の写真は、加古川市にあるボウリング場の風景ですが、入り口からレーンまで段差すらなく、フルフラットになっていて、大きい電動車いすでも問題なく入ることが出来、トイレも広く、休憩スペースも設けられています。ここのボウリング場は2Fにあるのですが、連絡橋(屋根付き)とエレベーターも設置されていて、スムーズに移動することができます。これこそまさに合理的配慮がなされていて、誰もが快適に利用することが出来ます。この様な公共の場が、もっと増えると嬉しいですね。

 社会参加をするにあたり、あと少しの工夫や配慮がなさされれば、私達が暮らしやすい当たり前の世の中になるのではないでしょうか?


障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-

土田浩敬

1、はじめに
 障害者差別と合理的配慮と聞くと、とても難しくとらえられがちです。正直なところ私自身もそこまで理解出来ていないのですが、私が中途障害者としていままで受けた差別や、合理的な配慮がなされたと感じたことを、自らの経験を通じて、今回は書きたいと思います。

2、障害者差別と合理的配慮とは
 障害者差別解消法では「不当な差別的取扱い」として、例えば障害を理由として、正当な理由なくサービスの提供を拒否したり、制限したり、条件を付けたりするような行為を禁止しています。
 また、障害のある方などから何らかの配慮を求める意思の表明があった場合には、負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要で合理的な配慮を行うことが求められます。こうした配慮を行わないことで、障害のある方の権利利益が侵害される場合には差別に当たります。
(※内閣府ホームページより引用)

3、私が感じた差別
 私自身が障害者になって差別を感じたことは、沢山あります。それは、健常者のころには無かったことでした。

頸損になって間もない頃
 それらは、全ての事柄が差別というわけではないのですが、障害を持ってはじめのころ感じたのは、外出する度に、電動車椅子の私をじろじろと、健常者が見てくることです。まぁ物珍しいから見てくるのでしょう。それだけ重度障害者の社会参加が遅れているということかなと、私なりに考えています。多様性を認めあう社会、インクルーシブ社会、みんなで支え合いながら、誰もが排除されない、孤立しない、排他的ではない地域… 少なくとも、これらを解決することはすぐに出来ることではありません。私は外出する度に周りの視線が気になっていたのですが、外に出ていくことが大切だと思っていました。差別とは少し違うかもしれませんが、私が障害を持ってから嫌だなと感じたことです。

頸損連のイベントで自信に繋げる
 外へ出ると、差別を受けたように、もしくは差別を受けていると感じることが多いのかもしれません。何故、いま他人行儀のような書きかたをしたのかというと、その頃の私は、障害がある私が悪い、申し訳ない、私は邪魔なんじゃないか、という“ネガティブな考えかた”のほうが強かったからです。
 また某鉄道で乗車する手続きを行う際には、駅員が私に問いかけるのではなく、介助者に向かってしか話しかけない人もいました。その時は非常に不快な思いをしました。
 他にも、飲食店の入店拒否やバスの乗車拒否、それらは「自分が大きな電動車椅子に乗っているから、他の人の邪魔になるんだ」と“私が悪い”と考えることもありました。それは今でも“仕方ないか”と諦めることもあります。しかし、そういう人たちは、自分自身の中で差別しているという意識はないのでしょう。

4、差別とモラル
 近頃、よく考えることで、以前からもあったことです。それは外へ出ていくとそういう場面に遭遇します。「モラルの無い人が多い」ということです。電車に乗る際、電車を降りる際、私が降りようとしていると“われ先に”と出ていく人たち… エレベーターに乗ろうとすると、見るからに健康そうな大人達がいすわり、全く降りようという気もないのです。逆に、小学生の子供たちの方が、私のような車椅子に乗っている人がいると、譲ってあげたりしています。なんだか、恥ずかしといいますか、呆れてしまいます。

重度障害者のことを知ってもらう授業
 昨今、ハード面ではバリアフリーが整ってきましたが、ソフト面の人々の心や行動のバリアフリーはまだまだなのかなと思います。もちろん、全ての人がそうではないことは知っています。
 それは、道を譲ってもらったり、エレベーターを優先してもらったり、ちょっとした心遣いが「心のバリアフリー」に繋がるのです。
 時には、私たちのような障害者に対して、配慮してもらえる時もあります。狭い店内に私が入店出来るように店員の方に工夫してもらったり、どうすればいいかを一緒に考えてくださる「心と行動」が障害者と健常者の、隔たりを無くしていく、キッカケになる物だと思います。

5、海外へ行った時の話
 海外で感動したことがあります。それは私のような重度の障害があるものに対して、ごく自然に接してくれて、とても親切だったのです。道を譲り、すれ違いざまに私に微笑みかけて、困っていると親切に対応してくれました。エレベーターを譲ってくれたり、道路を渡ろうとすると優先的に渡らせてくれます。これだけでも、もう一度海外に行きたいと思います。
 全ての国が、そのようなソフト面でバリアフリーかと言うと、そうではありません。国や地域によって、その国の人たちの気質や文化は違います。私が行ってきたシンガポールとロサンゼルスは、人々の心構えが違ったということ。
 ハード面でのバリアフリーに加えて、ソフト面でのバリアフリーにはとてもびっくりして、感心しました。日本よりも、心のバリアフリーは遥か先を行っているのではないかと感じました。

6、さいごに
 市民一人一人の意識の持ちようによって、大きく左右されるのだと思います。その意識を変えるには、私たち障害当事者も変わり、どのようにして欲しいかを伝えなければ、まわりは変わっていきません。市民一人一人というのは、私たち障害当事者も含めてみんなです。
 市民それぞれが理解しあい協力していくこと。それにより良い意識を持ちあい、障害者のみの差別に限らず、全ての人々にとっても、排除されない、孤立しない、排他的ではない、地域差別のない社会に、街も人も、成長していくことが「未来の地域社会」というものなのではないでしょうか。


障害者差別解消法-私が受けた差別と合理的配慮-

島本 卓

1. はじめに
 2016年4月1日より、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(以下、障害者差別解消法)」が施行されました。この法律は、障害による差別を解消し、誰もが分け隔てなく共生する社会を実現することを目的として作られました。

2. 事例報告
A) 今から書く内容は、障害者差別解消法が施行される前に私が経験したことです。
 私は○○市にある体育館に電動車いすで、スポーツ観戦に行きました。正面玄関を入ってすぐに、ロビーに上がるためのスロープが設置されています。電動車いすのタイヤを拭いていざ入ろうとすると、受付の男性の方に「床が傷むからダメです」と言われました。納得がいかない私は、「なぜ入ってはいけないのか」と訊ねました。男性の方は「床が汚れ、傷が入るから」と言われましたが、私の前をシルバーカーで移動する高齢者がいました。ただただ疑問しか残りませんでした。
 翌年に私が主催するイベントの会場として、この体育館を選びました。手続きのために体育館に行った際、電動車いすでの利用が可能かを確認したところ「利用は、誰でも使っていただいて結構です」とまで、何があったのかわかりませんが180度も考え方が変わっていたことに、とても驚かされました。現在も体育館を利用しています。

B) 現在住んでいるマンションの入居時のことです。
 私は2年前に自立生活をはじめるために、不動産屋に相談し物件探しを始めました。5件目で今の物件を見つけることができました。入居希望を出してからがとても長く、諦めてもいいかと思ったぐらい悩みました。このマンションは車椅子でもOKなはずでしたが、入居者からの意見が多かったとのことです。
 例えば、電動車いす利用時の振動や音や、移乗用リフト使用時の音がどうかを聞かれました。利用する機器の写真、説明など求められたものをすべて提出、口頭説明も行いました。こんなことって聞かれるものなのでしょうか。
 私が一番驚いたのは、電動車いすの走行時の騒音を聞かれたことです。大家さんが心配していると不動産屋の担当者から言われたので、「車みたいにエンジンを積んでいるわけでもあるまいし、下手したら人が歩いて響くほうがうるさいと思うけど」と言い返してやりました。
 この時、不動産屋の担当者が熱心に考えてくれる方でした。担当者と話している中で、「初めて車いすの方の物件探しに関わりました」、 「分からないことばかりだけど、入居できるまで担当させてください」とまで言ってくれました。とても嬉しかったです。そして、入居するための書類に記入をして、現在も自立生活を行っています。

C) 私の住んでいる近所に行きつけの鉄板焼き屋があります。
 この店を見つけた最初の頃はテイクアウトのみで利用していました。テイクアウトで食べることが出来ていたので最初は満足をしていましたが、何回も注文しているうちに鉄板の上で熱々の料理が食べたいという思いが出てきました。何回かお店の前を車いすで通ってみたのですが、店内に入るためには段差が2カ所あることで難しいと思いました。しかし、何としても行ってみたいという思いが収まらなかったので、簡易式スロープを持ってお店に行きました。段差はクリアをしたものの店内に入るための入り口の扉が狭く、諦めざるを得ない状態になっていました。すると、男性店長が出てきて「いつも注文されている方ですよね」と声をかけてくれました。
 以前、テイクアウトの注文する際、車いすでも入れるかどうか、私が尋ねたことを店長は覚えていてくださったのです。「なんとか中で食べさせてあげたい」と入り口前で店長が言ってくれました。でも、入れる方法がなかなかみつかりませんでした。そこで私は、ダメ元で「入り口の扉を外す事はだめですか」すると店長が「外したら入れるか試してみよか」と言ってくれました。扉1枚を外してもらい入れるか試してみたところ、すれすれの状態ではありましたが店内に入ることができました。そして今となっては、友達らと一緒に1ヶ月1回位のペースで通うぐらい常連になっています。店長が「これから車いすの方が来られても、こうやったら入れることがわかった」と言った言葉が印象に残っています。

D) JR 〇〇駅で今年の3月に経験した内容です。
 それは、たまたま私がひとりで外出をした時に起きたことです。私が利用している最寄り駅から、 〇〇駅まで行きました。最寄り駅では、単独利用で乗降介助のスロープの手配を依頼しました。そして〇〇駅に着いて、降車するのにスロープを出してもらいました。ホームから改札に向かうのに、私が四肢麻痺であることからエレベーターボタンを押すことができないため、降車時に手伝ってくれた駅員さんにエレベーターのサポートをお願いしました。するとかえってきた駅員さんの言葉は「業務外です。その他の降車のお手伝いがあるため無理です」と返事がありました。
 私は「自分でボタン押すことができない」ということを伝えましたが、駅員さんからは「無理です」としか返ってくることはありませんでした。その他の方法が提案されることもなく、上がってきたエレベーターに自分ひとりで乗り、改札階まで行くことになりました。狭いということもあり、途中で扉が閉まりかけるなど不安を持ちながらエレベーターを利用しました。

E) 私は近所にあるスーパーにひとりで買い物に行くことがあります。
 スーパーの外にはお手伝いが必要な方のコールボタンが設置されています。このコールボタンを押すと店内から店員さんが来てくれます。そして一緒に店内で買い物する際にお手伝いをしてくれると言ったものです。実際私もお手伝いが必要なのですが、残念なことに自分で押すことができません。通りすがりの方に押してもらうと思って待っていても、そんな時に限って誰も通らないといった残念な思いもしたことがあります。そこで私は、電動車いすのまま店内をウロウロしながら、買いたい物があるか確認をしながら購入するものを決めていきます。購入するものが決まれば、店内にいる店員さんを探して、「すみません。商品を取ってもらいたいのでお願いします」と声をかけることにしています。声をかけた大体の店員さんは手伝ってくれますが、特売日に行くとなかなか捕まらないのも現状です。私は、このスーパーを利用して2年が過ぎました。今まで声をかけてお手伝いをしてもらっていましたが、最近では店内で私を見かけると「決まったら教えてね」と店員さんの方から声をかけてくれるようになりました。頻繁に行っていると顔なじみになるというのはこういうことなのかもしれません。ここで私が言いたいことは、合理的配慮と言う内容の物ではないかもしれませんが、車いすの方でも買物に来るという意識を持ってもらうことのきっかけを自分が作るかどうかだと思います。みなさんも、思い切っていちどチャレンジをしてみてください。

3. まとめ
 最初から差別をしようと思って接している方はいないと思います。その中で、相手から差別されている、差別を受けていると感じるのは、本人がどのように受け取るかによっても大きく変わってきます。例えば言われた場所や、タイミングによっても受け取り方も様々だと思います。周りの方が対応をしたいと思っても、どのように対応すればいいのかわからない場面もあるはずです。対応をしてもらえないから差別と判断をする前に、対応できない理由を聞くことで、物理的に無理であることが分かるなど、必ずしも差別といえない場合も多くあるのではないでしょうか。
 障害者差別解消法が施行されたからといって、当事者が全て言っていることが正しいというわけでもありません。例えばお店にスロープが設置されていても、入れなかったら差別と考えますか?私だったら「残念、入れないのか」と思って違うお店を探しに行きます。でも、皆さんも外に出ておられてそのような場面に出くわすことも多いのではないでしょうか。そのことに対して、差別だとか合理的配慮ができていないと言ったところで急に環境が変わるわけではありません。ダメ元で何回も行くだけで環境が変わる場合もあるのかもしれない。根気強く、誰もが使いやすい環境を手に入れるために交渉も行っていきましょう。


私が受けた差別と合理的配慮

伊藤 靖幸

 この法律は、平成28年4月1日から施行されました。障害者差別解消法は「不当な差別的取扱い」として、例えば、障害を理由として正当な理由なく、サービスの提供を拒否したり、制限したり、条件を付けたりするような行為を禁止するものです。また、障害のある方から何らかの配慮を求める意思の表明があった場合には、負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要で合理的な配慮(以下、合理的配慮)を行うことが求められます。(※内閣ホームページより引用)この合理的配慮で、私が受けた・感じた「悪かったこと」「良かったこと」を書きます。

1 悪かったこと
 1つ目は、車椅子使用者なら1度は経験があると思いますが、電車で乗りたい時間の電車に乗れないことです。駅に行くと、降りたい駅、乗換えの駅に連絡を取ってもらいます。待ち時間が長く、予定していた時間に帰れないという事もありました。日本で、スロープを付けてもらわずに乗れる電車は、私が知る限り、沖縄県の「ゆいレール」と「Osaka Metro 千日前線」です。沖縄県の「ゆいレール」は、電動ボタンでスロープが上がってきて、乗り降りが出来ます。「Osaka Metro 千日前線」はホームと電車のあいだがほとんどなく、乗り降り出来ました。「2020年東京オリンピック・パラリンピック」には、このような電車じゃないと駄目なんじゃないかなぁと思います。

 2つ目は、飲食店で露骨に嫌な顔をされたことです。そのお店で、机と椅子は動かせたんですが、店自体は、そんなに大きくはなかったです。ですが、混んでいるわけでもなかったです。そんな状況で入ったわけですが、あからさまに嫌な顔をされました。交渉の結果、食べることは出来ましたが、あまりいい気持ちで食べられませんでした。大きい車椅子で場所をとってしまい、机と椅子を動かさなければならないのは、お店の方には面倒だなとは思います。しかし、お客として来ているわけだから、そこは他のお客と一緒の対応をしてもらいたかったです。まだまだ、車椅子に対して、理解が少ないんだなと感じた出来事でした。

 3つ目は、物件を借りるときです。物件を見て回って、やっと何10件目かで、気に入った物件が見つかりました。不動産屋が大家さんに連絡したところ、駄目だといわれました。収入、部屋内を傷つけないことなどは伝えてもらっています。大家さんは、貸せない理由を説明する義務は無いようで、障害者だから、車椅子だから貸せないんじゃないかと思うしかなく、悔しかったです。

2 良かったこと
 1つ目はパソコンの資格取得のときです。Excelの資格だったのですが、2つのキーを押さないといけない試験内容がありました。しかし、私は1つのキーしか押せません。そのため、試験官に言えば、試験官が代わりに、もう一つのキーを押してくれるという配慮がありました。試験時間を1.5倍に延ばしてもらったのも合理的配慮でした。

 2つ目は、ライブに行ったときの事です。時間通りに行ったんですが、たくさん人が来るとグッズ購入が難しいのではと配慮していただき、開演前にグッズ購入が出来るようにしてくれました。それと、野外フェスに行ったときは、屋根のある場所でした。障害者に配慮があり、暑さに弱い頸髄損傷者である私には、本当に助かりました。

 3つ目は、飲食店での事です。ご飯を食べようと近くの飲食店に入りました。しかし、椅子が固定式で、ダメでもともとで、店員に聞いてみたところ、取り外しが出来ることがわかり、利用することが出来ました。

 4つ目は、よく使う電車で、駅員が気さくに話しかけてきてくれることです。最初は、挨拶くらいだったんですが、名前も覚えてもらって、電車が来るまで世間話したりもします。障害者差別とは違いますが、差別は無知から始まることもあるのではないかと思います。分からないから、無関心になり、その結果、溝が増えていってしまうんじゃないかなと考えます。障害者差別解消法が一般の方に認知されているかは、まだまだだと思います。しかし、電動車椅子で外に出て、いろんな方と会話したり、見られることで、ちょっとずつ社会が変わっていければと願っています。

3 海外で感じたこと
 障害を負ってから、ロサンゼルスに行く機会があり、行ったときに感じたことを書きます。まずは、街のどこにもバリアなんて感じられませんでした。入れない建物はありませんでしたし、電車にはスロープなしで乗れました。物理的なバリアフリーだけではなく、エレベーターを譲ってくれたり、扉を開けてくれたり、心のバリアフリーも感じました。そして、私のような重度障害者に自然に、当たり前のように接してくれたのには、感動しました。文化や習慣こそ違いますが、障害者差別解消法を考えたときに、この心のバリアフリーがとても大事なことだと思います。日本は、物理的なバリアフリーもですが、心のバリアフリーが遅れているように感じました。

4 地区の避難訓練参加
 この写真は、暮らしている地区の避難訓練に参加したときのものです。私のような重度障害者が、震災や天災にあったときに、どのような配慮が必要なのか話してきました。近くに住んでいる方達には、特に知っておいてもらいたいと思い参加しました。重度障害者が住んでいることを知ってもらい、少しでも障害って何なのか考えてもらえればと思います。そして、障害者差別解消法について、考えてもらえるきっかけになればと思います。まずは、知ってもらうことから始まります。皆さんも、住んでいる地域の集会などには参加されて、知ってもらってはどうでしょうか?

5 まとめ
 「配慮」という言葉だけを聞くと、ついつい「してもらうもの」「してあげるもの」というイメージを抱きがちです。「合理的配慮」の原語であるReasonable Accommodation(リーズナブルアコモデーション)には「調整・便宜」という意味合いがあります。障害のある方と健常者、「お互いにとって」過ごしやすい環境を作るにはどうすれば良いか?と考えていけば、誰もが暮らしやすい社会になっていくのではないでしょうか?


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