特集 これからの頸損ライフを考える 「縦横夢人」2019年秋号(No.26)

「縦横夢人」2019年秋号(No.26)
特集 これからの頸損ライフを考える

これからの頸損ライフを考える

PDF これからの頸損ライフを考える

兵庫支部 橘 祐貴

はじめに
 今回、「これからの頸損ライフを考える」というテーマで特集の記事を書くことになりました。偶然にもこの記事を書いている時に受傷から15年の日を迎え、自分のこれからについて考えるのにはちょうどいいタイミングなのかもしれません。そこで今までを振り返りつつ、これからについて書いていこうと思います。

○受傷歴
 2004年10月3日の夕方、図書館から自宅へ自転車で帰宅途中に路肩に停車中のトラックに追突、転倒しました。すぐ近くの災害医療センターに救急搬送されました。C1・C2を骨折していて、2日後に頚椎の後方固定手術を受けました。受傷直後は自発呼吸ができなかったので気管切開をしていて、胃漏も付けていました。ただ初めの数カ月間はほとんど意識がない状態だったので、当時の記憶は断片的にしか残っていません。受傷前の数カ月間の記憶も一時的に飛んでいたので「なんで自分が入院しているのか」が理解できず、家族にあたっていたのは覚えています。この年は新潟中越地震や相次ぐ台風、インド洋の大津波など大きな災害が続き、災害が発生するたびに病院スタッフが派遣されていたそうです。受傷時はまだ高校に在学中でしたが、復学することはなく、入院中に卒業を迎えました。
 最初に搬送された災害医療センターから神戸赤十字病院、甲南病院、県立リハビリテーション中央病院と転院した後、2006年4月に県リハを退院して在宅生活に戻りました。
 在宅生活に戻ってから 13年半が経ちましたが、これまでの間に尿路結石で一度入院した以外は一度も入院することはなく、大きなトラブルもなく健康に過ごせています。ただ肺活量は少ないので、毎回担当医に「肺炎には気をつけるように」といわれます。車いすは長い間介助用車いすを使用していましたが、2年前から電動車いすに乗り始めました。最近は外出する時は基本的に電動車いすで出かけています。初めは危なっかしかった車いすの操作も大分スムーズにできるようになってきましだ。でも、油断をするとうっかり壁をこすってしまったりするので注意しないといけませんね。
受傷した時は17歳だった私も気が付けば30代半ばに差し掛かり、退院した頃は約40キロしかなかった体重が約60キロになり、見た目もだんだんふっくらとしましてれたてきました。この原稿を書くのにあたって昔の写真を見直してみましたが、今と比べると体形が大分違いますね(笑)。


まだガリガリだった10年前の写真

○今のあなたの生活状況を教えてください。(環境、介護状況)
 退院してから10年以上の間、実家で両親と暮らしていましたが、マンションの大規模改修が昨年末より始まり、また実家のリフォームの計画もあったので、今年の2月に近くのUR住宅に引っ越しました。現在住んでいる住宅は阪神大震災の後に復興住宅として建てられた団地で、最近部屋のリノベーションもされています。そのため部屋の中には段差がなく、玄関からリビングまでまっすぐ入れる廊下も広く、電動車いすで暮らすのにも全く問題はないです。玄関に数センチの段差がありましたが、ホームセンターでゴム製のスロープを購入して設置することで段差を解消しています。


自宅玄関

 引っ越しをしてから実家のリフォームが完了するまでの間は両親と一緒に暮らしていましたが、8月からは両親は実家に戻り、一人暮らしが始まりました。一人暮らしを始めるのにあたり、重度訪問介護の支給時間を増やしてもらいました。しかし支給時間を1日あたりで計算すると9時間と思ったよりも少なく、そのため朝・昼・夕方・夜間に 1回あたり2~3時間ずつ介助に入ってもらっています。現在、朝は8時30分から介助に入ってもらい、夜は22時までです。支給された時間だけではさすがに足りないので、朝のトイレ介助やごみ出しなどは両親にしてもらっています。また土曜日を中心にまだ事業所が決っていない時間があります。入浴は週のうち数日は2人介助なのでシャワーキャリーを使い、浴室でシャワー浴をしています。浴室にリフトを導入することも考えましたが、賃貸住宅の上にユニットバスなので設置は難しいことがわかりました。ちなみに介助者が1人の曜日はベッド上で清拭をしてもらっています。訪問入浴の利用も考えましたが、「原則だれかが付いていないといけない」とのことだったので今は利用していません。

○満足な暮らしができているか?(できていないならその理由)
 一人暮らしを始めてから 3カ月以上がたち、新しい生活にも大分慣れてきました。始めのうちは母に作ってもらっていった食事も、最近は自分で食べたいメニューを考えてヘルパーさんに作ってもらうように徐々にシフトしています。どのくらいの量の食材を買えばいいのか加減がまだ分からず、買った食材が余ってしまったり、逆に足りなくなったりしていますが、そのうちに自分の適量がわかってくるのかなと思います。
 頸髄損傷の人が一人で生活をしていく上で、ヘルパーさんの介助は欠かせないですが、1回あたり2~3時間の限られた利用時間の中でトイレ介助や着替え、ベッドから車いすへの移乗、料理や食事介助、洗濯、掃除などをこなさなければならず、かなり慌ただしいです。私の場合、一つ一つの介助にどうしても時間がかかってしまいます。元気な時はこの時でもまだ何とかなっていますが、「もし体調を崩した時にこの利用時間で足りるだろうか?」という不安はあります。今は足りていない時間を両親のサポートで賄っていますが、いつまでも両親に頼れるわけではなく、そこをどう解決するのかが問題です。

○どのようにすれば自己実現できるか?

 一人暮らしを始めてからまだ半年もたっていないので、今の自分の生活パターンを確立していくことがまずは大事だと思っています。とりあえず1年間生活してみたら、自分の体調のリズムなどがわかってくるでしょうし、それに合わせて介助の内容や利用時間を見直していく必要が出てくると思います。誰が来ても介助しやすいように福祉機器を新しく取り入れるのも一つの方法だと思います。快適に安心して一人暮らしが送れるようにしたいです。
 また、いずれは在宅での仕事をしたいと以前から考えていますが、通勤や仕事中の公的ヘルパーの利用は在宅ワークであっても現在のところ認められていません。ところが、今年夏の参院選で重度障害の方が当選され、この問題が注目されたこともあり、今後制度の見直しが行われるのではないかと期待しています。今はその時に向けて、仕事をする際に役立つようにパソコンの勉強をして、自分のスキルを上げていこうと思っています。

○介護者不足が深刻な時代です。どのように解消していますか?
 現在もまだヘルパーが決まっていない時間帯に入れる事業所を支援センターに探してもらっていますが、灘区でも希望している時間に利用できる事業所を見つけるのは簡単ではありません。現在利用している事業所の中には遠い所では西宮の方から来てもらっています。支援センターの相談員も人手不足でなかなかすぐに対応してもらえる状況ではなく、利用している事業所からの紹介で新しい事業所が見つかったこともありました。なるべく早いうちに事業所が見つかればよいのですが、難しいかもしれません。
 また、以前よりも一人でいる時間が長くなっているので、一人の時でも快適に過ごせるようにスマートスピーカー(Google home mini)とスマートリモコン(スマート家電コントローラー)を使って、エアコンやテレビ、照明等の家電製品を声で操作できるようにしています。声で操作するので、「環境制御装置の呼気スイッチが届かなくて照明がつけられない」ということはなくなりました。製品自体も安価で購入でき、リモコンの登録や設定もスマホで簡単にできます。今使用しているスピーカーは通話にまだ対応していないので、もしもの時の連絡手段として使えるよう、通話機能のある製品を取り入れてみようかと考えています。とりあえず家電の操作は機器を取り入れることで対応できましたが、トイレや食事の介助はどうしても人の手が必要です。まずはまだ事業所が決まっていない時間帯を埋めて、そこから重度訪問介護の利用時間数を増やしてもらえないか、行政とも交渉していこうと考えています。


スマートスピーカー

スマート家電コントローラー

○これから先どのような未来を創っていきたいのか?
 受傷してから15年がたったとはいえ、まだ30代前半。人生はまだまだこれからです。今から10年、20年先には世の中も現在とはずいぶん変わっているでしょう。今はできないことも新しい機器の登場や制度の改正でできるようになっているのかもしれません。重度の障害者も当たり前のように仕事をしたり、社会参加できるようになっている世の中になっているといいですね。その時に向けて勉強をしたり、健康状態を維持できるように気をつけていきたいです。


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