特集 頸損ロードマップ 退院編 ロードマップ:退院編 島本 「縦横夢人」2020年秋号(No.30)

「縦横夢人」2020年秋号(No.30)2020年11月16日発行

特集
頸損ロードマップ
退院編

-病院を退院した時に準備するべきこと-


ロードマップ:退院編

PDF ロードマップ:退院編 島本

島本 卓

 今回の特集は「退院編」ということなので、あの頃を振り返りながら書いていきたいと思います。私は平成18年12月、知人の車に同乗していて、その車が自損事故を起こしたことが原因で、頸髄C4番を損傷しました。事故が起きた場所は普段から利用していた地元の道でした。事故後すぐに救急搬送されたおかげで処置に間に合い、命を取り留めることができました。意識を取り戻した時には病室にいて、そして、何ひとつ体に痛みを感じることはなく、この時にはすでに、私の体は自分の意志で動かせなくなっていました。

〇受傷してからどのくらいの時期で退院しましたか?

 最初に搬送されたのは姫路にある病院でした。首の固定手術のために、姫路の病院から神戸の病院に転院し、経過を見て姫路の病院に戻りました。その後、入院当初から使用していた人工呼吸器を外すため、そして在宅生活に向けたリハビリをするため、神戸にある別の病院に転院することになりました。転院して無事に人工呼吸器を外すことができ、退院まで神戸のその病院に入院していました。交通事故後入院をしてから退院まで約9ヶ月間、病院で治療やリハビリを受けることができました。

◯退院後の住居は受傷前と同じでしたか?住宅改修を行った場合は改修した箇所や利用した制度についても教えてください。

 事故前は実家暮らしではなく、私だけが賃貸マンションで生活をしていました。退院後は、元の賃貸マンションではなく、実家で両親と一緒に生活することにしました。私の実家は築200年とかなり古い建物で、古いゆえにアジがあったのですが、在宅生活を始めるにあたって、住宅改修にはとても苦労しました。地面から床まで70cm近くもあり、また、段差が多かったことも苦労したことの一つです。
 まず、在宅生活を始めるために5カ所を改修することにしました。
①自宅に入るため段差解消機を設置する(図1)。
②ベッドを置く部屋の床の強度を上げる。
③寒さ対策に部屋を仕切る(扉を設置する)。
④浴室を作り直す(以前は牧でお風呂を沸かして
いた)。
⑤玄関ドアを交換する(鍵開閉をリモコン操作)。


図1 段差解消機を設置

 各市町村で確認が必要ですが、住宅改修工事には助成制度があります。しかし、この制度は使いませんでした。私の場合は事故で障害を負ったので、保険会社に必要な住宅改修を保証してもらいました。また、改修を終え、実際に使ってみて、使いにくさがわかった部分も多くありました。

○どのような福祉用具を導入しましたか?また福祉用具や利用できる制度についての情報はどこから得ましたか?

 退院まで入院していた病院では、リハビリ以外の時間で、福祉用具・機器を取り入れての生活をイメージしやすくするため、それらの試用期間を作ってもらうことができました。電動車椅子、エアーマット、移乗用リフト、環境制御装置などが試用できました。私は体が大きいこともあり、移乗用リフトは外すことのできない福祉用具・機器だと教えてもらい、使用した移乗用リフトが「つるべー」(株式会社モリト―)という製品でした。
 「つるべー」は、退院後、実際に生活に取り入れた福祉用具・機器の一つで、移乗する際、とても安心して使うことができました(図2)。


図2 移乗用リフト「つるべー」を使用中の様子

 また、私の生活や活動に欠かせないのは、ティルト・リクライニング機能がある電動車椅子です(図3)。操作に顎コントロールを取り入れたことで、自分で行きたい方向に移動できるようになりました。退院時に作った電動車椅子は、現在も私の足となって動き続けてくれています。


図3 電動車椅子(ティルト・リクライニング機能)

〇退院後の医療・看護の体制について教えてください。

 退院後は、不安だらけで生活がスタートしました。その中でも膀胱瘻の詰まりが起きないかということが一番の不安でした。そこに地域の内科の先生が往診してくれることになり、訪問看護、訪問リハビリと多くの医療関係者が携わってくれることになりました。膀胱瘻のカテーテル交換が3週間に一度あり、訪問看護は週3回で主に排便、入浴をお願いしていました。それと24時間の緊急時の対応もしていただけたので、とても助かりました。また、訪問リハビリを訪問看護と同じ事業所に依頼することができました。事業所は、情報共有しやすかったのではないかと思います。

○退院してからの介助体制はどうでしたか?また、介助者を探すのはスムーズに行きましたか?

 私が入院中に、退院前のカンファレンスを、外出もかねて実家で行いました。ヘルパー事業所は2つ参加してくれていました。体の状況や必要な支援について話し合われ、退院を待つのみとなりました。そして、退院をして実家での生活が始まると、ただただ不安でしかありませんでした。ヘルパーは毎日1.5時間程度、主に家事援助で支援に入ってくれていて、私がいる部屋の掃除、片付けをお願いしていました。それ以外の時間については、両親に介助してもらっていました。一時期には、人に関わってもらうことに疲れてしまい、ヘルパーの訪問を断ったことがありました。今思い返せば、当時ヘルパー不足で調整困難にも関わらず、断ったことを反省しています。

〇退院時に不安だったことや困ったこと、知っておきたかったことはありますか?

 交通事故で体の自由を失ってからというもの、いつまで経っても体についての不安はなくなることはなく、それどころか将来のことへの不安は大きくなっていきました。私が情報として知っておきたかったのは金銭面のことでした。人が生活を送っていく中で、お金はとても重要なものです。しかし、私は障害年金の受給にあたっての条件を満たせていなかったことから、無年金ということになりました。そうなると、確実に受給できるものがありません。今後を考え、四肢麻痺の体で働けるのか?と、将来を不安に思うようになりました。そういう意味でも、障害者の就労環境がどうなのかが知りたかったです。

 最後に、今後も兵庫頸髄損傷者連絡会では、皆さんが求めている、気になられている情報をこれからも発信していきたいと思います。


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