特集 ベテラン(慢性期)頸損者の健康 慢性期頸損者の健康 「縦横夢人」2021年春号(No.32)

「縦横夢人」2021年春号(No.32)2021年5月10日発行

特集
ベテラン(慢性期)頸損者の健康
-受傷年数の経過で起きた変化やその対処法-


慢性期頸損者の健康

PDF 慢性期頸損者の健康

坂上 正司

 1981年1月、高校1年生で受傷しました。ラグビー部の新人戦の2回戦、相手のキックオフのボールを受けて突進し、体当たりしたあと頭から転倒しました。C-3,4不完全麻痺と診断されました。残存機能は複雑で、左腕の指と上腕三頭筋が動きますが、感覚もまだらです。計4年掛けて高校を卒業しましたが、この間に尿管結石を発症しました。当時は破砕術が一般化されていなかったので外科手術で石を取り出すことになりました。これは慢性期のものではないので、省略しておきます。
 大学を4年、大学院を2年で修了し、それまで農業をしていた父親と不動産業を立ち上げました。大学2年から大阪頸損連の役員、大学院2年から地元宝塚でCILを立ち上げ、2006年に法人化、2008年から準備した障害者雇用事業所を2010年に法人化、2013年不動産業を法人化して現在に至っています。
 受傷後20年間は両親の介助が中心で、15年くらいまでは可動域保持のエクササイズをまめにやってもらっていました。エクササイズがだんだんと煩雑になり、25年目くらいから拘縮の兆候が出始めました。それまで独立して動かせていた左手指のうち中指が動きにくくなってきました。そこから側湾が進み、拘縮もさらに進んで、ついにそれまでなかった褥瘡を作ってしまいました。今にしてつくづく思うのは、関節の可動域を確保できなくなると、いろんな後遺障害を引き起こしてしまうということです。
 さて、25年目くらいから介助者にエクササイズをやってもらうようになり、拘縮の進行はとめられましたが、褥瘡はより悪化しました。34年目になり、ついに手術のために三ヶ月入院しました。MRSAまで戴いてしまい、命の危機にさらされました。入院中は可動域保持のエクササイズをほとんどやってもらえなかったため、拘縮がさらに進む羽目になってしまいました。褥瘡については三戸呂会長という悪い見本がいたのに、学ぶことができなかったことを、深く、深~く反省しています。

 つぎに排尿ですが、受傷後30年以上は自然排尿ができていました。ところが褥瘡が悪化する前から発熱が多くなり、5年くらいの間に尿閉気味になりました。その間にカテーテル、簡潔カテーテル、留置バルーンと進行し、36年目についに膀胱瘻の増設を行いました。褥瘡の時と違い、膀胱瘻については諸先輩方にいろいろ教えていただいていたので、増設術についてはすんなりと受け入れられました。尿道に憩室ができたときに医師に「いよいよ膀胱瘻ですね」と言ったら驚かれました。施術後5年(熊本地震の日でした)になりますが、発熱はなくなりました。
 つぎに排便ですが、20年以上、座薬だけで週3回の排便がコントロールできていました。しかし、褥瘡の悪化に伴って、酸化マグネシウムや下剤を合わせても排便しづらくなりました。それより腸にガスがたまり、おなかがパンパンに張って苦しい思いをする日が増えてきました。週3回の排便は訪問看護師さんによる浣腸と摘便に頼っていますが、その浣腸も1回の排便で3~4本使用することも度々あります。QOLを考慮してストマーの増設も提案していましたが、医師も看護師もあまり奨めてはくれません。
 それから睡眠時無呼吸症候群が訪問看護師さんから指摘されています。排便や褥瘡の処置で側臥位になっているとうとうとしてしまうことが多いのですが、そのとき無呼吸の時間が数分あったり、そのときの血中酸素飽和度が80台になっているようです。元々慢性鼻炎を抱え、鼻腔も狭く太り気味なので関係がないのかもしれませんが、仰臥位でしか寝られないので呼吸がしづらいことに変わりはないのです。
 このように、頸髄損傷者の慢性期には様々な2次障害、3次障害が出てきますので、受傷後年数の少ない人はできるだけ体のケアに努めてください。


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