「縦横夢人」2021年夏号(No.33)2021年8月16日発行
特集
介助者(支援者)とうまく付き合うために
-今までの経験談や工夫していること-
-今までの経験談や工夫していること-
介助者との関わり
土田 浩敬
1、はじめに
私たちのような頸髄損傷者が、暮らしていくために必要なこと。それは介助者の存在です。手足が不自由になり、多くの方々が不便に感じていると思います。家族、ヘルパー、ボランティアと、その人の生活スタイルによって、関わる人が違ってくると思います。私たちは、そんな身近な存在の介助者と上手く関係性を作れているのでしょうか。介助方法が伝わらない、意見が合わない、性格が合わないなど何かしらの不満を抱く方も多いのではないかと思います。恐らくほとんどの頸髄損傷者が通るこの道を、今回は私のケースから紐解いていきたいと思います。
2、人から介助を受けるということ
私は2005年9月に仕事中の事故で頸髄損傷者になりました。頸髄の第4番目を損傷していて、両手足が全く動きません。はじめのころは、そのうち手足が動くようになるのではと、安易に考えていました。入院当初の私は、原因不明の熱に苦しみ、褥瘡が出来、感覚の無い体に対して不安を感じ、自分の体がどうなっているのか分からないまま、ただ時間だけが過ぎていきました。
そんな私の介助は、看護師さんと母でした。他人である看護師さんには、遠慮して介助して欲しいことを全て伝えきれずにいました。その代わり、母には何でもかんでも言ってしまい、困らせてばかりいました。私が精神的に未熟で若かったこともあり、動かない体に対して我慢が出来なかったのでしょう。今思えば申し訳ないことをしていたと、深く反省しています。
母は私に必要な介護を続けてくれました。退院の時には「慣れないこともあるけど、お母さん介助頑張るわ」と言ってくれたのを鮮明に覚えています。
しかし、在宅生活になると思っていた通り、介護の負担が母に大きくのし掛かりました。母との関係も、良い時もあれば悪い時もありながらも、5年間家族と共に在宅で過ごしました。このままずっとこの生活が続くのだろうか、とよく考えたりしました。動かない体への怒りを、母に向けていたのかもしれません。「こんな動かん体、死んだほうがマシやわ。早よ殺せや」と吐き捨てる様に言いました。
こんな状況では将来が見えてこないと感じた私は、2012年から親元を離れて一人暮らしをはじめました。
頸髄損傷になってはじめの7年間は、人に介助してもらうという慣れない経験から感じた不快さと、人にして欲しいことを伝える難しさを知った期間、そして自分に障害があることを受け入れられなかった期間だったと思います。
3、ヘルパーとの関わり
2012年、一人暮らしが始まり介助の中心は母からヘルパーへと変わりました。そのお陰で母が私の介護から離れることが出来て自由を得ました。私にとって大きな喜びでした。しかし、私も一人暮らしという自由を手に入れたのですが、何でもかんでも自由ということではなかったのです。
ヘルパーを利用することに慣れていなかった私は、外出していた時ヘルパーの交代時間に帰宅出来なかったり、一日中共にするヘルパーに対してストレスを感じたりしていました。介助方法が上手く伝わらず、イライラして険悪な雰囲気になったり、暴言を吐いたこともあります。ただ、これでは介助者からの信頼を得られないまま、むしろ介助者が自分から離れていくだけでした。
4、考え方の変換
どうすれば良い関係性を築き上げられるのか。まずは、自分の考えを見直すことでした。「普通」とか「一般的」という概念を消し去ることでした。人はそれぞれ育ってきた環境が違います。人それぞれ考え方が違うことは当たり前です。それは環境の違いから習慣も変わり、考え方も変わってくるのだと私は考えます。人は違うから、世の中が上手く回っているとも思います。
人それぞれ考えが違っていて当たり前という事に対して、自分の考えを押し付けないこと。そして相手の考えを受け入れることが重要です。そしてもう一つ、相手の身になって物事を考えること。色んなシチュエーションで「もしも自分だったら」と置き換えることです。そういえば、私も仕事中に理不尽なことを言われて怒られたことがあります。その時はこう思いました。「そんなん、やったことないのに分かるわけないやん…」そうです、やったことのないことが分かるはずありません。人に何かを伝えるとき、人は分からないことを前提に物事を伝えるべきだと思います。そして楽しい時間を過ごすこと。楽しいことは嫌なことを忘れさせてくれます。一緒にいる時間が長いヘルパーに対して、ちょっとした気遣いが大切だと思います。もちろん、ずっと楽しく過ごすことも難しいと思います。お互い人ですもの、静かに自分の時間を過ごしたい時もあります。その時は、相手に分かりやすいように伝えればいいのです。少し音楽を聞きたいから、読書をしたいからゆっくり過ごしたいと。こう伝えて邪魔をしてくる場合は問題ですが、まぁそんな人はいないでしょう。相手にちゃんと伝えることも大事です。
長々と書きましたが、こう唱える私も全然完璧ではありません。ただ完璧はつまらないと思います。人は課題があるから、それに向かって挑戦して乗り越えることが出来るのです。
大変に感じる時、嫌だと感じる時、疲れた時、それらの時間は自分が成長している時なのでしょう。その時は、プラスに捉えることが難しいかもしれませんが、過ぎ去ってしまえばちっぽけなことだったのかも知れません。後になってそう思えるように、少しずつ努力を積み重ねていきたいものです。
5、最後に
・これからどのような生活を送りたいですか?今後の目標があれば教えてください。
自分に限界を作らない。
より良くなるために、もっともっと考えて苦悩して、それの繰り返しだと思います。そうすることで、いつかなりたい自分に近づくのだと思います。そうなれば自ずと目標が達成出来ているのかもしれませんね。
あの時私は母に対して「こんな動かん体、死んだほうがマシやわ。早よ殺せや」と言いました。親から授かった大切な命に対して、最低な言葉を放ちました。でも今は、生きていて良かったと心の底から思います。