縦横夢人2012年冬号(No.5)2012年3月1日発行
山本 智章
あれは、去年の8月か9月頃のことだったと思います。なぜか左足の膝から下に「じんじん」とした痺れのような感覚があり、また「ぴりぴり」と痛みのような違和感がありました。今まで頸髄を損傷して肩から下に“痛み”の感覚など分かるはずがないのに、何故こんな感覚があるのだろうと、不思議に思っていました。母親に話してみても「なんでやろな」と言うぐらいで、またヘルパーさんにも痛みがあるから左足を触る時はゆっくり動かせてもらうようにと伝えるだけで特に足の違和感を気にすることなくいつもと変わらない生活を過ごしていました。まだ、この時は痺れや痛みなどの違和感がときどきあるぐらいだったので「まあ~大丈夫だろう」と不安感どころか痛みの原因を知ろうとも思いませんでした。この危機感のなさが後の日常生活に大きく影響するとは全く思いもしませんでした。
足の痺れや痛みなどを気にすることなく2~3ヶ月が過ぎた2011年11月1日、朝は腫れていなかった足が夜になりベッドに移乗してから見てみると左足が右足の1.5倍ぐらいにまで腫れていました。こんなにも急に人の足が腫れるなんてビックリしました。また左右差がある足を見ていると自分の足じゃない不思議な感覚にもなりました。この時に初めて目で見て足の具合が悪いと分かったので病院で診てもらった方がいいのでは、と思い両親に話をしたのですが少し面倒くさそうに「もう少し様子をみて近所の整形外科に行こう」と焦ることない危機感ゼロの返事でした。僕も足が腫れているにも関わらず2日後の11月3日にヘルパーさんとウインドーショッピングがしたくて大久保にあるイオンへ外出していました。足が腫れてからの外出は初めてで点字ブロックの上を通るだけで足に振動が伝わりとても痛かったです。今、思えば足が痛いんだったら早く病院に行けよと自分に言いたいです。しかも、目で見てはっきり分かるぐらいに足が腫れているんだから。内心は、おかしいなと思いながらも、まだ病院に行くのを躊躇していました。何故かと言うと11月3日は文化の日で病院は休み、救急車で病院に行っても色んな検査ができないんじゃないかと勝手な自己判断があったからでした。もう一つ、救急車を呼ぶのをためらった理由は近所の人に心配をかけたり気にされたりと迷惑じゃないかと思っていたからでした。
さすがに足の腫れと違和感があるので周り近所のことを気にしている場合じゃない、そう思い3日後の11月4日に救急車で病院に行きました。移動中は心電図や血圧、体温、酸素など色々と測ってもらいすべて正常値だったので「どこが悪いのだろう」と足の具合を深刻に考えずに早く病院に着いたらいいなと気持ちに余裕がありました。ただ、救急車に乗っていると思えば少し不安になり居心地が良いものではなかったです。
病院に着いてからも体温や血圧を測り、次に採血をして点滴の針を入れるなど手際よくして頂き、あとは採血の結果を待っていました。しばらく点滴を見ていて「入院するのかな」とぼんやり考えていると少し不安が大きくなり早く結果が知りたくなりました。
最初に診て頂いたドクターは皮膚科で足の腫れがキズからの炎症だと思っていたみたいなので採血の炎症反応が正常値だった事からキズからの腫れではないと分かると、すぐにドクターが循環器内科に変わりました。まずは腫れている左足のエコーを撮り次は心臓のエコーを撮りに行きました。1つ2つと検査が終わるなかバタバタと続けて次はCT検査と時間が過ぎるのを惜しむかのように病院の中をベッド上で動き周っていました。なんとなく周りにいるドクターや看護師さんが慌ただしく動いているように感じたので「足の具合は悪いのか」と心配になりました。
ようやくドクターから言われた結果が左足からお腹の辺りまで血栓ができているとのことで病名は「深部静脈血栓症」でした。
インターネットで調べると医学的に言うと旅行中(特に飛行機の中)に起こる深部静脈血栓症に伴った急性肺動脈血栓塞栓症のことです。旅行血栓症という用語も使われております。飛行機の中では長時間座ったままでいるため、下肢の圧迫による下肢の静脈のうつ滞と水分不足による血液粘度の上昇がおこり、これが引き金になり血のかたまり (血栓)ができ、血管壁に付着します。飛行機が目的地に着陸し、席を立つと、長時間圧迫されていた足の静脈に付着していた血栓が血管壁からはがれ、静脈流に乗って肺にとび、肺の血管を閉塞(詰まらせること)させ、急性肺動脈血栓塞栓症が起こります。すなわち、いままで元気でいた人が急死することになります。航空機内のエコノミークラスの旅客から多く報告されたため、エコノミークラス症候群という名前で知られるようになりました。この血栓が、脳に移動して血管を閉塞させると脳塞栓、心臓の血管を閉塞させると急性心筋梗塞となり、とても危険です。
何年か前に上記に書いてある内容を聞いたことがありましたが、まさか自分が同じ症状になるなんて信じられませんでした。僕の場合お腹まで上がってきていたので、いつ心臓にまで上がってきてもおかしくないぐらい危険な状況だったそうです。その為、即その日の夕方に血栓が心臓まで上がってこないようにお腹にフィルターを入れる手術をすることになりました。「血栓」と聞いて初めて僕の足はそうとう悪い状態なんだと緊張が走りました。この手術名は“下大静脈フィルター留置術”で、インターネットで調べたのですが、下肢の静脈に血栓が残っていたり、新たに血栓ができても、それが肺動脈に到達しないように、下大動脈にフィルターを入れて血栓をとらえる方法です。1週間ほどで取り出す一時的フィルターと、ずっと入れておく留置用フィルターがあります。このような手術で血栓がお腹にあるフィルターより上に流れないようにしてもらい僕の命は助かりました。そうとも知らず、こんな足になるまで気にせず生活していたなんてもっと早くに病院に行くべきだったと反省するだけでした。今回の手術で○○毛を失いつるつるの少年になってしまったか、若しくはチャプリンになってしまったのかもしれません…。
そして悪い予感が当たってしまい11月4日から11日間の入院生活が始まりました。
入院1日目、検査が多く手術を行い色んな出来事が凝縮された1日で驚く事ばかりでした。24時間、血栓を溶かす点滴をしていたのでベッド上で過ごす日々が続き退屈なのだろうと入院生活が重く感じられました。心臓の様子を常に診るため、心電図を測っていました。いつもドクターや看護師さんから「胸は苦しくないですか?」と質問され、「苦しくなったら言ってくださいね」と嫌になるぐらい言われていました。それほど、血栓が心臓にまで上がることが恐ろしいのだと思いました。また、足首やふくらはぎなど約3箇所のサイズを測るため足にマジックでバツ印を付けられていました。ただサイズを測るためだけではなく足に印を付けたのは、機械で静脈の音を聴くためでした。なんだか、僕の人間性にバツ印を付けられたみたいでショックでした。
入院2日目、飲み薬が増えて1日に多くて3回も採血をして点滴と飲み薬の効き具合を診て薬の量を調整しながらの治療が1週間続きました。僕の血管が細く何度か失敗することがあったので採血の時が嫌になるぐらいでした。いつも同じ場所から採血をするので多数の跡が残りました。この日から音楽を聴いて退屈を紛らわせていました。入院3日目から飲み薬の数が減り4日目には点滴が1つになり、だんだんと調整ができてきたみたいで良かったです。これも、嫌だった1日に3回の小まめな採血のおかげだったと思います。やっと6日目に点滴が全て終わり、7日目に車椅子に移乗することができたので食堂に行き珈琲を飲みくつろぎました。久しぶりの珈琲にとても美味しいと感動し至福の一時を感じていました。1週間ぶりに車椅子に乗ったせいか貧血になり少し気分が悪くなりました。
入院生活8日目、9日目と飲み薬だけの治療になっていましたが、気になることがありました。入院、当日の手術でお腹に留置したフィルターを取り除くか、そのまま体内に留置しておくかの問題が残っていたのです。このフィルターを体から取り出せるリミットは10日以内で、それ以上経ってしまうとフィルターが血管に癒着して一生取ることができないそうです。そこで10日目のCT検査の結果次第でフィルターを取り除いてしまうか、フィルターの位置を少し動かして癒着するのを10日間だけ引き延ばすかの選択でした。結果から言うとフィルターを無事に取り除きました。それはCT検査で血栓が下腹部まで下がっていたからだそうです。検査結果により昼からの手術でフィルターを取ることが決まりました。入院日、当日の手術ではフィルターを股間の右横から静脈を通して入れましたが、取る時は首の右下(鎖骨の首より)の辺りからワイヤーを入れて取り除きました。今回は痛みを感じる部分からの手術で、もちろん局部麻酔をしていたのですが、首の横からワイヤーをグイグイ押し込まれたり手術中、首を左に傾けたままの体勢だったり痛みと恐怖に耐えていました。また意識があるので周りの声が聞こえていて手術中に一番気になった言葉は「ちょっと待って!」でした。その時の僕からすれば「何をちょっと待つん」と心の中で叫びました。僕に対する問いかけであれば周りの声が聞こえないと困りますが、それ以外の声が聞こえるのは怖いだけでした。正直、全身麻酔の方が良かったです。たった約30分の手術がとても長く感じました。術後1時間、手術中と同じ首の体勢だったので肩が凝ってしまいました。
実は手術が始まる前、ドクターから首の方からフィルターを取ると聞かされていなかったのでオペ室で首の方に麻酔をしますと言われ思わず「え、首からですか?」と聞いたところ「そうです」とあっさり言われてしまい心の準備をする間もなく手術が始まったのでした。
手術後、夕方にドクターから手術の説明や血栓の状態を伝えて頂き「明日、退院です」と言われ耳を疑い、「明日、退院ですか」と聞くと「無事にフィルターが取れましたので入院していても何も処置することがない」と言われ驚きました。なぜなら、入院中に多い時は1日に3回も採血をしたり、毎日足のサイズを測ったり、常に心電図を測ったりして、あれだけ経過を事細かく観て頂いていたので「ほんまに退院して大丈夫なんかな」と不安な気持ちがあったからです。でも退院できるなら早い方が嬉しいので良かったです。あとは飲み薬の調整が大事で、定期的に通院することになりました。
11日目の午前中、無事に退院することができ短いようで長かった入院生活が終わりました。
今回の入院生活を経験して、最初に思ったのは自分の足も含め自己管理が大切で僕には欠けていることでした。もっと自分の体を大事にするべきで、また体調も自分が一番よく知っておくべきなのだと反省しています。また、介助者や家族からの目線や声かけなど、自分が気付かないことを伝えてもらうことも大事だと思います。もっと大事なのは、今回の僕のように2~3ヶ月も前に感じた違和感を「大丈夫だろう」と安心して放置せずに、「おかしいな」と思えばすぐにでも病院に行って診てもらうことです。もし、身体に違和感があり病院に行って原因が見つからなくても行かないよりはいいと思います。とても小さいことが入院するような大きなことにならないように。
その他に病院では完全看護で息を吹くと鳴るコールを付けてもらっていたので、安心でした。ただ、朝と夕方の時間帯が忙しいので朝と夕方の食事介助は家族に来てもらいました。入院中のほとんどがベッド上で食事の時にベッド上で座り、終われば転ぶような生活だったので一人で過ごす時間が多く退屈でした。何が言いたいのかと言うと何かするには“介助者”が僕には絶対に必要だと言うことです。何もできない自分に虚しくなりイライラすることもあり介助者が自分にとって無くてはならない存在に思いました。
今回のような命にかかわる入院は事故以来で2回目でした。ふと思えば、まだまだ寿命があるからこそ生きているのだと感動しました。それから家族や周りの人たちに支えられているから元気に退院できて心から感謝です。
家に帰ってからの治療は食後の飲み薬ぐらいで、車椅子に乗る時間を少なくしたり足を上げたりと気にかけています。あと車椅子に乗っているときは足の血栓がお腹の方へ上がらないように足首のゴムが硬い弾性ストッキングを常に履いています。当分、薬は欠かせないので月に1度通院しています。退院後、最初の通院で飲み薬の効果が悪かったので薬が半錠増えてしました。2度目の通院で薬の効果が良かったので薬の量は変わりませんでしたが、3度目の通院で1度目の時と同じ結果で薬がさらに半錠増えてしまいまいた。これからも薬の量の調整と薬の効果が弱くならないよう、食べる物にも気を遣いたいです。
同じような経験をされた方、退院後の日常生活で気にかけている事、足の痛みを緩和する方法、血栓の予防方法など、ぜひ情報提供を宜しくお願い致します。