「縦横夢人」2019年春号(No.24)
特集
褥瘡
じょくそう
もう勘弁!マジ勘弁!治療・回復ケア奮闘記
「褥瘡」頸髄損傷者であれば誰もが一度は経験したことがある二次障害ではないでしょうか。
我々の体は、麻痺により痛みを感じることができません。普通であればすぐに回復するような小さな傷も、麻痺故に痛みがわからず患部を圧迫し続けることによって血流が悪くなり、傷が大きく広がってしまいます。時間をかけて広がることもありますが、短時間で深い傷になることもあります。重症化して入院するケースも少なくはありません。頸髄損傷者にとっては、身近にある危険であり、とても深刻な問題です。今回の特集では、「褥瘡」をテーマとし、どのような原因で褥瘡を発生させたのか?どのようにして回復したのか?どのような予防をしているのか?をみずからの体験のもとに執筆していただきました。中には、重症化して長期間社会生活を阻害されたケースも報告されています。
この特集は、生活環境改善と意識改善への啓発です。そして教訓としてお役立てください。目をそらさずありのままを見てください。
(宮野 秀樹)
奇跡の回復をみつめて
~褥瘡からの生還~
三戸呂 克美
はじめに
この度2回目の褥瘡治療の入院によって褥瘡の怖さを極め、地域を支えている中小の病院の今を知り、人間の生き様までも教えられたことは、私のこれからの人生に大きく影響すると思われる時間であった。
最初に私がお尻にキズをつくった原因は一つだけではない。入院中に天井を見つめて、なんで!どうして!と自問をしていた時や、病院のスタッフの諦めない治療の日々を思い出し、当時の自分を振り返ってみたい。
※本稿は「褥瘡」のタイトルで機関誌に掲載したのを加筆、再編集したものです。
落とし穴の悲劇
平成26年が明けた正月、新しく購入した車いす(TDX)に思いを馳せて乗り込んだのが1月11日だった。その日は全国総会兵庫大会の第8回実行委員会を明石市生涯学習センターで開催する日であり、実行委員が多数集まることになっていた。その仲間に新車の披露と今まで憧れていたチルト操作を見せたくて、早く、早く会場に行こうと焦りのようなものを感じていた。そして仲間に出会い、こんなことが出来るんやと得意げに話していたそのとき、仲間の一人から「全然身体に合ってないよ」との一言が聞こえた。その一言で僕の頭はパニック状態。業者が搬入してくれたときからどうもしっくりいかないと感じていたこともあり、適格な指摘ではあったが気持ちはそこには無く、業者の担当者への恨みが起きていた。
電動車いすに乗るのは初めてではないが、背もたれを倒して楽な姿勢になれるチルト機構が付いたのは今回が初めてであり、以前から乗りたいと思っていた。
電動に替えたのは手動で自走が楽になる電動アシスト機能が付いたヤマハJW2を長年愛用していたが、外出先で故障するアクシデントが起きたからだ。それと、外出の機会が多くなるにつれて、電車内での転倒やホームでの転倒などが重なり、大きな事故にならないうちにどうにかしなければとの思いと、介助者の高齢化も重なり、自力での移動が多少困難になり、電動車いすの必要性を感じていた。しかし、業者に対しての知識が不足していたことは悔やまれ、加えて自分自身の勉強不足もあり、悔やみ切れないことがあった。それに、私が必要としている車いすに対して、業者は納入実績が無かったということだった。そのことを納入後に話すのである。現在、担当者は会社を退職し、連絡はとれない。
環境を変えた時の怖さ
電動車いすの話はこれぐらいにして、ここで本題に移ろう。車いす購入の時、デモ車に乗ったが、業者任せにしたことがキズをつくる原因になったのは間違いない。座面のクッションを今までと同じロホのワンバルブにし、空気圧も今までと同じく高めに設定していた。シーティングに関しては勉強会や仲間の口から幾度も聞いていて、褥瘡の解決策として何度も出てくる言葉である。それを軽く考えていたことは否めない。それが現実に起こったのが、実行委員会を終えて家に帰り、ベッドに上がってヘルパーさんに「三戸呂さんお尻がえらいことになってますよ」言われた時だった。すぐにデジカメで写真を撮り、恐る恐る見た時、身体から血の気が引くほどショックだった。
環境を変えるときにはやはり専門家に相談もしくは状態を直接見てもらうことが大事だ。
生兵法は命取り
キズが出来てそのままにしていたわけではない。これまでもできたキズを治した(治った)事を思い出しては、その時使用した残りの薬を塗布したり、ネットで探しては処置をまねてみた。素人の治療で治るはずがないのに、「生兵法は大けがのもと」のことわざ通り、素人の治療を続けていたら、見る見るうちにキズが大きくなった。そのキズをいつも診て貰っているS病院の主治医に診てもらった。診察時に言われることは、「除圧をしっかりやって、キズ口は清潔にして下さい」である。その時も、ドレッシング材であるディオアクティブを処方してもらった。
いつのころからかキズに対する治療方法が変わり、僕がケガをしたころ(昭和54年ごろ)は、キズ口をとにかく乾燥させるようにしていた。入院中は病室の窓を開け、差し込む日差しにお尻(患部)を向け、日時計のごとく太陽の動きに合わせて体をベッドごと変えていた。それが近頃は「完全密閉湿潤療法」と言って、キズ口は乾燥をさせずに自分の力(栄養豊富な滲出液)で治す方法に変わった。(時には乾燥させる治療も必要であるようだ。)
ここで私が犯した最大のミスを、文献の解説を参考に述べてみよう。
湿潤方法に使用するのがドレッシング材である、と言うのは前述したが、キズの中で治りにくいものの代表が褥瘡と言われている。
それは、他のキズと違うのは、車いす上での生活が主流の頸損者では、圧迫が要因で発生するため、必然的にダメージが皮膚の全層(表面から内部)へ加わり、深いキズになりやすい。それに、圧迫を完全に取り除けない状況が続くこと、さらに、全身性の麻痺があり皮膚への修復に必要となる十分な栄養が行き渡らないケースが多くなることも要因である。そのため、キズに対して理想的とされる「完全閉鎖密閉湿潤療法」が、最良の方法とはならない状況が発生する。大量の壊死組織が存在する場合は、細菌感染を併発しやすい危険な状況であるため、この状況で「完全閉鎖密閉湿潤療法」を行うと、キズの悪化につながる。よって、ドレッシング材は、キズの自然治癒過程を妨げる要因を取り除き、治癒過程を促進させ、最良の環境を保持できるものを選択する必要がある。
キズ口は清潔にすることが条件であるのに、私は、高価なドレッシング材は高価な薬だと思いこんでキズ口に貼り付け、その上からフィルム状のテガダ―ムで密閉状態にしていた。すなわち、細菌を培養していたのだ。それから間もなくして、私の顔色はどす黒くなり、感染による熱に侵されうわ言を言うようになる。
車いすユーザーにとって車いすに乗れない事は致命的である
「キズをつくるということはどういうことなのか?」私たちにとっては最悪の状況である。ベッド上での生活になるが、座位姿勢が取れない事は重要な食事を寝た状態ですることになる。
今、病院に入院すると聞かれるのが、食事は自分で食べれますか、だ。介助が必要だ、というと、入院を断られる可能性がある。どこの業界でも人が不足しているのである。病院も同じだ。私はとにかくベッド上で座位姿勢を取らずに、横になった状態で食べるようにした。
頸損でなくても、寝て食事をするという動作は簡単にはイメージできないだろう。側臥位になり、フォークまたはスプーンを手に取り付け、食器のふちに口を付けて手でカキコムのである。格好なんてどうでもよい。食べて、栄養付けて、早く良くなりたいの一心である。結果が出るから人生は面白い。治療のかいあり、ゆっくりではあるが患部に肉芽が作られてきた。
3つの要素がキズを治す
ここで、褥瘡を治す、また褥瘡を作らない3つの要素がある。
1.除圧・2.栄養・3.清潔
これを確実に実施することで褥瘡に勝つことができる。いったん出来れば、もちろんこれだけで治るのではなく、時には手術もあり、薬を使用することも必要である。よって一番の治療は作らない事である。これも隠れた要素だ。
私は、3つの要素を次のようにして実施した。(早くキズを治す事を目的とした方法であるが、他にもいろんな方法がある事だけはお伝えしておきたい。)
1.除圧…ベッド上では座位姿勢は取らない。キズの大きさにより、車いすに乗る時間も控える。
2.栄養…食事は側臥位になって食べる(介助者不在の場合)。特に、バランスの良い病院食のようなメニューは重要だ。体重増加はキズを圧迫するので気をつける。
3.清潔…挫骨部なので便汚染には特に気をつける。入浴時には浴槽につかり、血行を良くして、とにかく新しく皮膚が張りだした部分に栄養が行くようにする。
以上を実践したら、見る見るうちにキズが塞ぎはじめた。約3ヶ月でキズの90%は皮膚が出来ていた。と言っても、一日で悲鳴を挙げそうな状態を3か月も続ける。振り返れば自分でもよく耐えたと感心する。
終わりのない治療に気力が失せかける
しかし、すんなりと治ってはくれない。ベッド上で寝たきり状態が続いたことから来る廃用症候群である。全身伸び切った体幹をストレッチでほぐすことに時間がかかり、大腿部分を曲げる動作、すなわち車いすに乗る姿勢を取れば挫骨が薄皮を突き破るという問題が発生した。皮膚は順調に塞がってくれたが、弾力性に欠けていた。このことが治療を長引かせることになる。
Dr.、PT、OT、Ns、管理栄養士の細やかなケアのお陰で完治出来たのだが、奇跡としか言いようがないほどであった。
褥瘡の怖さを知った2年間だったが、出来ても治るという言葉を信じて努力した事が報われた。
もう一度言おう、「褥瘡の一番の治療は作らない事」だった。
再び褥瘡地獄に
しかし、ここにも地獄があった。一度は治した褥瘡を再び作ったのである。作った原因も一回目と同じで、移動時のクッションの空気の調整ミスだ。どうして同じミスを犯すのか、打ち明けるのもはばかられる。言い訳をしてもできた褥瘡は治らない。大きくならないうちに治そう、と思い訪問看護師にお願いして治療に専念した。クリニックの先生はキズにワセリン塗布で車いすに乗ってもいいよ、とのこと。この状況で車いすに乗ってもよいとの指示はないだろう、と疑いながら乗っていたら、やはり大きくなるキズに処置すらできなくなってきた。あ~!やはり乗らなかったらよかった、と悔やまれる。
制度が阻む在宅での処置に戸惑う
あたって 在宅での安静治療には限界がある。一人暮らしの私が仰臥位状態で一日過ごしても良くなるとは思えない。そして、お腹も空かず一人天井を見て過ごす毎日が続いた。こんな時、誰かが側にいると何かと用事を頼めたり、食事も美味しく食べることができる。しかし、制度ではそれが許されないのだ。そうこうしているうちに、傷口より感染し高熱を出した。もうこうなれば在宅で治すことに限界を感じ入院するしかない。
決断の時
もう限界に来ていた私は入院を決意した。とにかく現在の生活では良くならないことが分かり、サ~!入院先をどこにするか決めなければならない。そうなるとことは早い。近くに入院可能な病院があるかを調査した結果、形成外科を持つ病院があり、まず受診することにした。そこが地域で頑張っているA病院である。受診の結果、すぐに入院となり入院と同時に手術をした。入院中に感染を起こし、高熱を出したが再度手術をし、4か月の入院でキズも完治し、退院の日を迎えたのが2018年9月。5月に入院してから4か月後だった。
決断の結果
1枚分にした退院後、3か月は車いす乗車は1日2時間の制限もあり、終日車いす上では過ごすことはできなかったが、3か月後の診察により褥瘡完治の診断が下され、常時車いす乗車のOKが出た。天井ばかりを見つめた4か月の入院生活を振り返れば、入院を決断したことは正解であった。キレイに完治した傷口を見て、一人で治そうと思った時から間違った方向に向いていたことも分かり、今後はもう褥瘡は作らないことを宣言、約束して、この特集を締めくくりたい。
私の褥瘡体験記
米田 進一
「褥瘡」は私達にとって、一番危険な症状と言っても過言ではありません。なんら前ぶれもなく、気がつかない時に床ずれが出来てしまい、治りが遅くなる事も多々あります。
過去を振り返ってみると、私が初めて褥瘡を作ったのは6年前の夏頃で、風邪の症状が酷く解熱剤からきたと思われる発汗から、エアマットで身体をギャッジアップした際に、摩擦による傷が出来てしまったのが最初です。傷を作った場所は仙骨の部分で、大きさは直径約1㎝程度、深さは1.5㎜位で済みました。幸いにもまだ軽い傷で、普段入って頂いている看護師の賢明な処置のおかげもあり、案外早く傷は完治しました。
それまでの約7年間、自分は皮膚が弱いにも関わらず、褥瘡はあまり出来ない体質だと勝手に思い込んでいたので、傷が出来た時はとてもショックを覚えました。頸損の先輩方が「褥瘡には気をつけて」と言ってくれていたのを思い出しました。
それからは摘便や入浴時には傷がないか確認する様にしています。また、栄養バランスを考えた食事や、身体の清潔を保つ事、長時間同じ姿勢でなく、時折除圧をする事も必要です。少しの気の緩みが傷を作る事になります。今後も決して油断せず、自分の身体のケアを続けていきたいと思います。