特集 これからの頸損ライフを考える 「縦横夢人」2019年秋号(No.26)

「縦横夢人」2019年秋号(No.26)

特集

これからの
頸損ライフを考える

PDF これからの頸損ライフを考える


 「社会参加」頸髄損傷者がこれを果たすまでに、どれぐらいの年月がかかったのでしょう。10年を一区切りとして考えても、2つほど遡ってその頃と比べると、頸髄損傷者が容易に社会参加できるように環境は整備され、人工呼吸器を使用した最重度と呼ばれる障害者の社会参加も目立つようになってきました。国会でも重度障害者が議員となり、国政に乗り出したのは、まさに重度障害者の社会参加率が高まってきたことを象徴するものではないでしょうか。これから我々頸髄損傷者を取り巻く社会が大きく良い方向へ動き出すのではないかと期待が膨らみます。
 今回の特集は、このような時代を頸髄損傷者としてどのように生き、どのような未来を創っていくのかを、兵庫頸髄損傷者連絡会の運営を中心的に担ってくれているメンバーに語ってもらうことにしました。生活の状況、暮らしの満足感、生活の中での課題、自己実現への思いなど、未来を創っていく人たちがどのような考えを持って暮らしているのかを知ることができます。テーマとした難しいですが、率直な思いを書いてくれていると思います。みなさんのこれからの頸損ライフの参考にしていただければ幸いです。

(宮野 秀樹)


「これからの頸損ライフを考える」

兵庫支部 米田 進一

 今回の特集のテーマは、「これからの頸損ライフを考える」。この先私達にとっても重要になっていく頸損ライフについてです。充実した生活にしていく為、過去の記憶を振り返り、質問形式で答えていきたいと思います。

○受傷歴
 私が受傷したのは2005年5月の頃で、当時大型トラックのドライバーをしていました。


あの状況で命が助かったのは奇跡かも

 夜中に高速道路の入口を入って駐停車禁止帯に無灯火で停車していたトラックの横を通過しようとした時、方向指示器を出さずに突如出てきた為、急ブレーキと急ハンドルを切ったが間に合わず、後部に衝突しました。事故発生から1時間後に一台の車の人が気付き、通報してもらいレスキュー隊により救出され、千里救急救命センター(現済生会千里病院)へ搬送されました。出血が酷く、意識が朦朧として微かに痛みを訴えていたのが当時の記憶です。検査の結果、C2・C4・C5を骨折し、おまけに小腸の一部が破裂していた為、病院の判断で小腸の一部を切除する事を優先し手術が行われました。同病院では首の固定手術が出来なかった為、転院先の病院が見つかる迄、このまま治療を継続する事になりました。
 麻酔が切れて痛みは数時間続き、段々と呼吸が苦しくなって来たので、看護師を呼びましたが、意識がなくなってしまいました。自発呼吸が困難に陥り、気管切開をし、人工呼吸器とハローベストを装着したのが当時の辛い記憶です。


2ヶ月で10㎏も体重が減った頃

 点滴だけで2ヶ月が過ぎ、体重が10㎏落ちたのもこれが初めてでした。腹部の状態が安定し、移転先の病院を探していたところ、自宅から一番近い兵庫県立リハビリテーション病院を希望しましたが、一年待ちという返答で諦めました。運良く見つかったのが後に主治医となる土岐先生が勤務されていた関西労災病院でした。転院して3日後に首の固定手術を受け、翌年の1月から気管切開離脱の為のリハビリが始まり、日中はマウスピース型で、夜間は鼻マスクを装着して生活できるようになりました。同年4月に無事退院ができ、両親と3人の在宅生活に入りました。退院から約1年足らずで兵庫頸損連絡会に入会し、その後社会参加が出来るまでになりました。2010年から電動車椅子に乗り活動範囲も広がって行きました。今年10月末で14年と5ヶ月になります。

○今のあなたの生活状況を教えてください。(環境、介護状況)
 退院してから7年程は、健常者の時に一人暮らしをしていたマンションで、両親の介護を受けながら生活していました。エレベーターも狭く電動車椅子で乗る以前の問題で、外出する時は毎回フットサポートを取り外さなければいけませんでした。2011年に起きた東日本大震災をきっかけにハザードマップを見直すと、浸水の恐れがある事が判明しました。実家の近くに現在の土地を購入し、電動車椅子でも問題なく出入りが出来る様に、段差のないバリアフリーの家を建て、家族と同居しています。


現在の自宅

 1ヶ月の支給時間数は明石市で最上限の410時間であり、毎年支給時間数を増やして貰うよう行政と交渉しているのですが、なかなか納得のいく時間は貰えないでいます。
 入ってもらえる事業所の人数の加減もあり、1日あたり7時間しか出来ない為、朝から夕方まで数名が2、3時間で入れ替わり介助をしてくれています。朝は9時から夕方は17時まで介助に入ってもう事が多いです。夜は家族がいるので入ってもらっていません。外出は基本2人介助にしているので、他の方より2倍の時間数を利用する為、現在の支給量では全く足りないのが現状です。


いつも利用している訪問入浴サービス

 訪問入浴は週3回利用していますが、週2日は明石市の支援により無料で利用しています。短時間で入浴できるのは凄く有難いです。その内1日はデイサービスを利用しています。そのお陰で身体の状態を維持出来て褥瘡も今はありません。
 在宅ではパソコンをしたり、環境制御装置(ECS)を使ってベッドの操作やテレビ、エアコンの調整をしたりしています。1人になる時はナースコールを顔の近くに設置しています。


1人でいる時間は(ECS)を操作している。

誰かを呼ぶ時はナースコールで息を吹き掛ける

 一番恐れている事は自然災害による大規模な停電です。呼吸器使用者は常に電源確保を優先し、電気が復旧するまでの間は不安が付き物です。呼吸器のバッテリーも常に充電する事はもちろん、2年前からは災害時に対応出来る様、呼吸器も2台所有しています。とはいえ電気が戻るまで安心してはいけないのです。非常時にはアンビューバック(手動型蘇生バッグ)で対応してもらう必要があります。1分間に10~20回のリズムでバッグを揉み続けてもらうのですが、24時間になれば1人では疲れるので何人かで交代しながら送気してもらわなければいけないのも大変です。


いつも愛用している電動車椅子

 私は電動車椅子には呼吸器台を設置し、バッテリーがいつでも充電出来る様に、座面下にコンセントが刺せる様にオリジナル改良しています。

○満足な暮らしができているか?(できていないならその理由)
 現状から言えば介助者不足とサービス提供時間が足らないので、満足という暮らしは出来ていません。私が事業所を探す場合、人工呼吸器を使用している事から、「何かあった場合の保証が出来ない」という返答が多く、見つけるまでに結構な時間と労力を要します。その一言でなかなか一歩が踏み出せず、しかし、当たり前に暮らしたい生活を取り入れる為に、行政と交渉を沢山してきたつもりで、偏見と思われる事が一番辛いですね。
 24時間中、2/3の時間を家族が介護しなければいけない現状から抜け出せないのも、理由の1つです。重度訪問介護を受け入れない事業所も多く、何処か探す事を諦めてしまっている自分に憤りを感じます。近年では他府県の人工呼吸器使用者が、介助者の確保や時間の大幅な利用が出来るまでの努力をされていると耳にする事が多くなってきました。その様なやり方を自身が取り組んでいないのもあり、その方達との情報交換する事で現状から抜け出せる可能性を感じています。

○どのようにすれば自己実現できるか?
 住んでいる地域格差や制度のあり方が変わらなければ、今の状態が続く様にも感じます。ただ、私としても介助者の確保に向け積極的に募集をかけ、自分の困っている状況を市民の皆さんにも理解して頂き、1人でも多くの人材を集める努力をしなければいけません。
 しかし、この先希望も見えてきました。夏の参院選で重度障害当事者2名方が当選、私達の課題としている問題点が注目されたのは良い事です。より良い制度の見直しが行われる事を切に願います。

○介護者不足が深刻な時代です。どのように解消していますか?
 ケアマネジャーと共に空いている時間帯に入れる事業所を探してもらっていますが、見つけるのは簡単ではありません。探せばいつかは見つかるでしょうが、早期で考えると難しいかもしれません。家族を犠牲にする事だけは避けたいとの思いは常にあります。呼吸器使用者の介護は常に危険を伴うという先入観が未だあるのも事実なのでしょう。
 最近では家電製品を声で操作が可能な機器が身近な物になっています。性能を問わなければ安価で購入出来るのも魅力を感じます。導入をされている方達も多いと思います。介助者不足の問題は常に起こり得る事ですので、導入する選択肢も視野に入れてみたいと思います。

○これから先どのような未来を創っていきたいのか?
 受傷してから14年数ヶ月が経ち、気が付けば40代後半。頸損連絡会の一員になった30代半ばに比べると正直、年齢に伴い年々体力低下している身体になっている事が分かるだけに、とても不安と危機感があります。あと何年くらい人生を送れるのかと自問自答した事もあります。必ずしも家族との生活が決して間違っているとは言えないです。しかし今の生活状況であっても限界に近づいてきているのも事実です。同じ呼吸器使用者とも語り合っているのですが、幾つかの選択肢として、シェアハウスで共同生活をするといった提案も出ています。レスパイトを受け入れてもらえる病院を探す事を目標に積極的に動いています。
 何もやらないよりはマシだと思っています。どんな重度障害者であっても当たり前に暮らせる環境を整え、誰もが社会参加出来る様な未来になると嬉しいです。生きている限り、その目標達成に向けて継続して頑張っていきたいと思います。


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