「縦横夢人」2020年冬号(No.27)
特集 ロードマップ:病院編
「リカバリー」にむけて
島本 卓
交通事故により、頸髄を損傷したことで、入院することになりました。入院時、数ヶ所の病院を転院しながら、約9か月間の入院生活をおくりました。入院期間中、体が元の状態に戻るのかといったことを日々考えていました。時間が止まることもなく、夢であってほしいと思いながらも、時間だけが過ぎていきました。最初は時間とともに回復するものだと思っていました。しかし体に力を入れることができませんでした。日が経つにつれ、自分の体が「大変なことになってしまっている」ことがわかりました。
入院して4か月頃から、毎日、残存機能の維持と拘縮予防を含めたリハビリが始まりました。それと同時に、パソコン操作や電動車いすの操作の練習も始まりました。私が何よりも時間がかかったのが嚥下でした。当時、気管切開をしており、鼻から胃にチューブで栄養を入れていました。入院時に唯一の目標がありました。口から食事をすることです。嚥下テストもうまくいかなく諦めかけていましたが、3回目にして合格が出たのです。そして気管切開部分を閉じることになり、目標だった食事ができるようになりました。食事内容も、おかゆ、ペースト食が主に出されていました。一口目の美味しさの感動は、今も覚えています。少しずつ固形に変わっていき、食事もセコムが開発した「マイスプーン」と言われる、食事介助ロボットを使って食べていました。マイスプーンが操作できるようにセッティングをお願いしなければいけませんでしたが、自分が食べたいものを、自分のタイミングで食べられる喜びがありました。今だから言えるのですが、入院中のリハビリが退院後の生活に活かせられるか、一切わからないままリハビリをしていました。退院後にリハビリの必要性と効果に気づかされました。
その後も毎日のリハビリメニューをこなしていきながら、退院を意識し始めるようになったのが、約6ヶ月を過ぎた頃でした。その頃から看護師の方から在宅に戻る話や、入院後に進め始めた住宅改修の進み具合についても話を聞かれるようになりました。自分の心の中では、今の体の状態で退院後に生活ができるはずがないと思っていました。私は退院後に施設入所を考えていました。
そんなある日、退院まで入院していた病院のドクターから、「同じ頸髄損傷の方に会ってみないか?と言われた。私も会ってみたいと返事をするが、何を聞いたらいいかも思いつかないまま、面会の日になる。当日、面会に来てくれたのは、私が現在所属している兵庫頸髄損傷者連絡会の方でした。電動車いすを巧みに操り、携帯を操作されているのに驚きました。私が一番気になっていた「家に帰って生活できるのか?」と聞いてみました。返ってきた答えに耳を疑った。「できるよ。一人暮らしをしている。」ただただ驚きでしかありませんでした。またヘルパーの存在を当時、わかっていなかったので、家族の負担を考えてばかりいました。ヘルパーに入ってもらっての生活についても教えてもらいました。これらの話を聞けたことで、生活のイメージがしやすくなっていきました。それと私は「ヘルパーは女性だけしかいない」と思い込んでいました。男性のヘルパーがいることを聞いて、ただただ驚きました。そんなことも知らないまま、生活をスタートさせたとしても、私だったら途中でギブアップしていたと思います。その後ドクターから、地域での生活はどうかと聞かれましたが、その場で返事をすることができませんでした。その頃には、住宅改修も進めていましたが、途中で止めることも考えました。退院後の生活をイメージするどころか、障害を負ったことの現実を受け止められませんでした。
しかし、両親から「帰ってきたらいいやん」と言ってくれたことで、実家での在宅生活をしようと決めました。その時、「うちの親父とおかんは強いな」って思いました。私に不安な思いにさせまいと、いつも通りに話しかけてくれていました。でも私以上に、心配と不安な思いでいっぱいだったと思います。
そして入院中に、同じ頸髄損傷の方から、実際の生活の様子や、経験談を聞ける機会があることがとても重要であると感じました。
次に退院後に生活をするための住宅改修も重要です。私が入院した翌月から、住宅改修の話がではじめたと両親から教えてもらいました。どのお宅も住宅改修をするのには、時間もかかりますし、とても大がかりになります。私の実家は築200年と古く、住宅改修をするのにはとても大変でした。なぜなら床下が70センチもあるため、簡易スロープの勾配が急で、電動車いすで上がるのには危険でした。そのため昇降機を取り付ける必要がありました。その他にも、ベッドを置く部屋の床の強度を上げるなど思いつく部分を直しました。あくまでも実家で生活するために住宅改修を行いましたが、使いやすいかどうかは退院後でないとわかりません。自分が使いやすいと思っていたものも、実際使ってみて必要がなかったなんていうことも、少なからず出てきました。
実家の家業が大工をやっていましたが、住宅改修には関わってもらわずに、保険会社が指定する工務店にお願いをしました。家業の話をすると、自分のところでやればいいのにと言われます。なぜ頼まないかと言うと、「こだわり」「いつでもできる」となってしまうため、完成時期がどんどんずれてしまうことが予想できたからです。
実際にこれくらいの段差なら大丈夫と考えてしまうと、電動車いすは通れたとしても、介助用車いすでは通れないなんてこともあります。また住宅改修を行っている業者はたくさんありますが、住宅改修の経験、福祉機器の知識などには差があると思います。私が一番住宅改修をする際に重要だと思うことは、利用者本人に聞いてくれることだと思います。どんな生活がしたいのか、またこれだけが不安など、一緒に考えてくれる業者であれば安心して任せられると思います。実際に住宅改修している方の自宅に、家族が見学にいくことでイメージがしやすくなるかもしれません。
また各市町村に確認が必要ですが、住宅改修の助成についても利用できると費用負担もわすがですが減ると思います。
私は退院後、仕事復帰できないということから、福祉用具購入、訪問看護、訪問リハビリを受けるための支払いに不安がありました。退院をして数年経ってから、独立行政法人事故対策機「NASVA」の介護料申請ができることを知りました。介護料は、自動車事故が原因で、脳、脊髄又は胸腹部臓器を損傷し、重度の後遺障害を持つため、移動、食事及び排泄など日常生活動作について常時又は随時の介護が必要な状態の方に支給されます。
私も交通事故で頸髄を損傷したので、申請ができ承認されました。もちろん介護料の上限金額は決められています。その上限金額内での福祉サービス、訪問看護、訪問リハビリなど自己負担で利用したサービス料金について支給対象として認められます。私は福祉用具のエアーマット、ベッド柵を福祉用具店からレンタルにて使用しています。褥瘡予防の製品「ロホクッション」を支給対象として認めてもらえたので購入しました。給付の情報を知っているのと、知らないのとでは安心感が違ってきます。
私にとって地域生活を進めていくためには、医療との連携が重要だと考えています。風邪などの不安もありますが、一番は排尿のための膀胱瘻が詰まった時や、尿路感染時に往診してくれるドクターを見つけることです。内科、皮膚科の往診をはじめ、訪問看護、訪問リハビリも関わってもらうことで、地域生活をより安心できる環境が出来上がっていくと思います。
最後に退院が決まり、病院から実家まで介護タクシーで帰ることになりました。9ヶ月間の入院でしたが、高速道路を走りながら何年も見ていなかったかのような風景に感じました。交通事故を起こした瞬間から時間が止まっていたのかもしれません。そして、自宅での在宅生活をスタートしたのですが、不安な毎日を過ごしました。不安を感じながらも、両親と一緒に実家で暮らせていることが嬉しかったです。ありがとう。
この原稿を作成している間に、頸髄損傷になって13年になりました。13年が経つのがとても早く感じます。入院時にお世話になったドクターや、頸髄損傷の先輩と出会っていなければ、皆さんに伝えることもなかったと思います。
また、今回の機関誌を読んでもらった皆さんからも情報発信をしていただきたいです。
頸髄損傷で四肢麻痺であっても、地域で生活することを諦めないでください。不安なことや聞きたいことがあれば、些細なことでも構いませんので、兵庫頸髄損傷者連絡会まで連絡をください。