「縦横夢人」2020年冬号(No.27)
活動報告 人工呼吸器シンポジウム
「人工呼吸器を使用して自由に生きるために」
-人工呼吸器ユーザーが求めること、支援者に求められること-
宮野 秀樹
※全国機関誌「頸損NO.129より転載」
11月2日(土)神戸市勤労会館・大ホールにおいて人工呼吸器シンポジウム「人工呼吸器を使用して自由に生きるために」-人工呼吸器ユーザーが求めること、支援者に求められること-を開催しましたので報告します。
シンポジウムの趣旨
当会では、10数年前より人工呼吸器ユーザーの自立生活が実現するための啓発に取り組んできました。10数年前には数えるほどしかいなかった人工呼吸器ユーザーの会員も、全国頸髄損傷者連絡会には複数名の人工呼吸器ユーザーが会員登録しており、運営に携わる者まで出てきています。社会全体を見ても、近年では地域で自立した生活を送る高位頸髄損傷や難病の人工呼吸器ユーザーは増え、生活に多くの課題を抱えながらも社会に自身の役割を見出し、心豊かな生活を目指そうと奮励努力しています。しかし、本当に当たり前に「自由な意思」の元、数多くの選択肢がある豊かな生活が送れる時代になったのでしょうか?残念ながら「人工呼吸器は生命維持装置」というイメージは根強く存在しています。在宅生活でも、身体的なケアサービスは受けられても、専門的な知識や技術を必要とする医療的なケアサービスが受けられないという問題があり、日常生活がその高い壁に阻まれ、意思表示すら我慢を強いられている人工呼吸器ユーザーは少なくありません。
本シンポジウムは、全国で人工呼吸器を使って在宅で暮らす頸髄損傷者をはじめとする肢体不自由者に幅広く呼びかけ、自身が生活する上で問題となることや課題解決のために求める要望を聞き、どのように暮らしを守り、どのような支援があれば自由な意思を守ることができるのかを参加された方たちと一緒に考えることを目的に開催しました。
第1部 鼎談
第1部では人工呼吸器ユーザー、ドクターを交えた鼎談として兵庫頸髄損傷者連絡会の米田進一氏と大阪急性期・総合医療センターの土岐明子医師と私とで鼎談を行いました。最初に米田氏から自身の障害の経緯、どのように人生をリカバリーしたか、人工呼吸器を使用して暮らすことに対する思いを発表してもらいました。12年前に人工呼吸器使用者の自立生活を実現することを目的としたシンポジウムを開催した時には、まだ社会参加し始めたばかりで発言に自信がなく、遠慮がちであった米田さんが、「人工呼吸器使用者は決して特別な存在ではない」と断言する彼の姿に12年間での成長が伺えました。
土岐医師からは、視力が低下した人は眼鏡をかける、呼吸がしづらい人は人工呼吸器を使用するという風に、低下した機能を補う道具に過ぎないという非常にシンプルな考え方が示されました。人工呼吸器は特別なものではなく、人生を前に進めいていく道具であるというわかりやすいお話でした。
2人とも人工呼吸器に対する社会的なイメージに問題があることを指摘されていました。
第2部 人工呼吸器ユーザー報告
第2部では、兵庫頸髄損傷者連絡会・坂上正司氏のコーディネートのもと、4名の県外から招いた人工呼吸器ユーザーの報告とパネルディスカッションを行いました。高知県在住の村田一平さんからは、ひとり暮らしに至るまで、現在のひとり暮らしの様子、活動の様子などをお話しいただきました。病院から施設、施設から実家、そしてひとり暮らしをするまでの15年間の心境についてのお話が興味深かったです。手探りで様々なことを模索し、時には壁にぶつかり、そして自由を手に入れて「本当に今の生活が良い」と熱く語るその言葉に共感しました。
今年結婚したという報告には会場が大いに沸きました。「本当に幸せです」という言葉には、もはや人工呼吸器ユーザーであるというイメージなどは存在しておらず、これが本当にあるべき姿だと感じました。
東京都在住の木下昌さんからは、怪我をしてから現在に至るまで、大学受験から進学そして司法試験へのチャレンジの様子をお話しいただきました。特別な理由がなく大学に進学したこと、大学に行くことが当たり前だと思っていたこと、法学部を選んだのは受験科目の都合であったことを聞けば、それは正に障害がない者と同じ考えであり、やはり人工呼吸器ユーザーであるイメージが存在していないことを気づかされます。就労することも当たり前に視野に入っており、現状の重度訪問介護サービスでは就労時にサービスが受けられないことを危惧されていました。「障害者も競争できる社会に」と強く訴えられている姿が大変印象的でした。
大阪府在住の吉田憲司さんからは、持続可能な在宅生活の在り方を模索している様子を報告いただきました。24時間の介護の必要性を訴えても、行政はなかなかそれを認めず、介護者を確保することが難しい現状で誰もが疲弊していっている切実な様子が語られました。療養型の施設を増やしたり、病院のベッド数を増やすよりも在宅生活の方がより現実的で有力な選択肢であることを主張されていました。充実した人生の一環として最期まで自分の意志を貫ける環境とはいかなるものか、社会的議論の広がりを期待していると締めくくられていました。
滋賀県在住の松江里美さんからは、大学に復学した様子、現在就労している様子などをお話しいただきました。大学1年生の時に交通事故で頸髄損傷になったけれど、周りのサポートもあって復学されたとのことでした。本人は「私はそんなに頑張っていない」と謙遜されていましたが、復学してから3年間学校に通って卒業されたことを考えると、本人の努力は相当なものであったと思います。NPPV療法になって良かったことは何ですか?と質問した答えが、「ネックのある服が着られるようになった」というおしゃれを意識されていることに女性らしさを感じました。現在は市役所に臨時職員として勤めておられ、今後の活躍が期待されるところです。なによりも受傷から6年で就労まで果たせていることが、12年前から大きく社会が変化していったことを物語っています。彼女のように人工呼吸器ユーザーであっても社会的な活躍ができる人たちが増えることを期待してやみません。
最後に
人工呼吸器は「呼吸ができなくなった」という風に見られがちで、「できない」という捉え方が「してはいけない」「控えなければいけない」という制約めいた考え方を生み出してしまいます。みなさんも何かをしようとしたとき「それは無理じゃないか」と言われた経験があるのではないでしょうか?そういうイメージや考え方がもう古い・間違っていることを、今回のシンポジウムで登壇してくださったみなさんからの報告が証明してくれていると思います。
私自身はこのシンポジウムに「権利の保障」がテーマであったとも感じています。障害者権利条約にもある「他の者との平等」が保障されてこそ誰もが暮らしやすい社会が実現するということです。他の者とは「障害のない人たち」です。障害のない人たちと同じことができてこそ、誰もが心豊かに暮らせる社会になるはずです。「誰もが」とは高齢者も子供も障害者も含めたあらゆる人のことを指します。人工呼吸器を使用しているからといって特別視する必要はありません。みんなでともに楽しく暮らせる社会を実現するためにこれからも活動を続けていきたいと思います。