縦横夢人2011年夏号(No.3)2011年6月1日発行
4/17(日)この日は天候に恵まれて約10名の方が集まりJR三田駅前で自立生活センター三田、NPO法人ぽしぶる主催の募金活動が行われました。東日本大震災のニュースを見て、何かできることはないのかと考えているだけでなかなか行動に移せてなかったけど、そんな時に募金活動をすると聞いて、これは自分にできる事だと思い参加することにしました。ただ単純に何かできればと、そういう気持ちで三田駅に着くとすでに活動が始まっていて、各自それぞれが膝の上に募金箱をのせて駅前を通り過ぎる人たちに声かけをしていました。人前で声を出すのは恥ずかしいし緊張もしましたが、周りの様子を見て状況が把握できたので、募金箱を膝の上に乗せて呼びかけを始めました。最初は小声だったのが、だんだんと慣れてくると声が大きくなり、緊張や恥ずかしさを忘れ何度も呼びかけをしました。そして、募金に協力してくれると大声を出して良かったと嬉しくなりました。また、募金活動が良い機会となり自分にできることができて嬉しかったです。あっという間に時間が過ぎましたが、皆さんが日常あまり出さないような大きな声での呼びかけと募金に協力してくれた方のおかげでたくさんの救援金が集まり募金活動が終わりました。
今まで街中や駅前でいろんな募金活動を見かけても何もせずに通りすぎるだけでした。しかし、今回の募金活動に初めて参加して“呼びかける側”と“今までの自分”の両方の気持ちが分かりとても良い経験になりました。是非、集まった救援金が被災障害者の役に立ってほしいです。募金に協力してくれた方々ありがとうございました。他にも参加された方々に感想を頂きました。
(山本)
東日本大震災・被災障害者救援募金活動に参加して
桜井 龍一郎
もう20年ぐらい前になるのではないだろうか。大阪の頸損連絡会に入会してそんなに間がない頃、会の先輩に誘われて大阪駅前で、確か交通アクセス関連の募金活動や署名運動、ビラ配りに参加したことがある。考えてみればそのとき以来だ。
東日本大震災の被害の甚大さは連日の報道のとおりで、しかしながら被災した障害者の状況はあまり伝えられることはなく、多くの方がいまだ不自由な生活を送っているであろうことを思うと心が痛む。ヘルパー確保もままならない中、生活はどうしているのだろうか、避難所の固い毛布の上での寝泊りで褥瘡は大丈夫なのだろうか、排便はどこで行っているのだろうかなど、気がかりは尽きない。現在進行中のこの現実の前では、日ごろお世辞にも障害者運動や社会貢献活動の類には顔を出しているとは言えない私でも、今回ばかりは何かしなければならないだろうと思い立ち、兵庫頸損連総会の開始前に行われることになった東日本大震災・被災障害者救援募金に参加することにした。……いや、嘘はいけない。会場の三田に向かう電車の中では、正直参加しようかどうかまだ迷っていた。人前で大声上げて道行く人に声をかけるのは恥ずかしいし、そのまま総会会場へ向かってもいいのでは、なんてことも考えながら現地の三田駅前に着いたのは募金活動開始の11時もだいぶ回った頃で、すでに今回の主催者団体の方何名かが募金活動を始めていた。不思議なものでその姿は、今までの迷いを瞬時に消し去り、自分も参加しなくては、という気持ちを自然と起こさせてくれた。
そこから後は順調に、説明を聞いて、看板を足元に取り付けて、募金箱を車いすのテーブルに置いて、という作業を手早くこなして募金活動の列に加わった。最初の一声だけはちょっと躊躇したが、一度大声を出してしまえばあとは募金のお願いを連呼することに抵抗はなかった。総会が始まるまでの正味1時間ぐらいの短い時間ではあったが、思った以上に多くの方に募金してもらえたのは、これまた思った以上に嬉しいことであった。今回の募金が少しでも被災障害者の役に立つことを願ってやまない。
生まれて初めての街頭募金
木戸 功
前日までの寒さが嘘の様な好天で薄い雲から透ける青空がすがすがしく、ぽかぽか陽気で風が気持ち良い日曜日です。三田駅舎には燕が巣作りに忙しそうに飛び交っていて空ではトンビが輪を描いています。そんななかで特定非営利活動法人「ぽしぶる」による東日本大震災の被災障害者への義援金の街頭募金活動が始まりました。
募金箱とプラカードを手に持って並んで呼びかけます。募金箱は私の膝の上に置きプラカードは同行のガイドヘルパーさんに持ってもらう事になります。街頭募金はもちろん通行人に向かって声を掛けるなんて生まれて初めての出来事です。始めは大きな声が出せません。それに増してしどろもどろで文章にさえなりません。ちゃんとした文章にしようとすれば今度は息が続きません。「何が言いたいねん!?」とつっこみが入りそうでドキドキでした。まともに呼び掛けができるようになったのに15分は掛かったのではないでしょうか。慣れたら同じ文句の連呼あるのみです。但し、最近の選挙演説の様な名前の連呼ではなく意味のある文章です。初めに自分の募金箱に募金くださる人が現れるまでがまたドキドキです。ひきつった薄ら笑いをしていただろう変な「おっさん」に募金下さった皆様ありがとうございました。
私の日常生活では大声を上げる機会はありませんしカラオケの趣味もありませんので街頭募金活動は私にとって貴重な肉体労働となりました。改めて募金下さった皆様ありがとうございました。
東北関東大震災障害者の方々への募金活動について
吉田 みち
募金を始めようとしたきっかけは所属している全国自立生活センター協議会からのホームページやMLによる、福島、宮城の東北関東大地震情報でした。支援声明の中に痛ましい被災地の写真などが、たくさんでてきました。今では東北関東大震災障害者救援本部も設立されました。
そうしているうちに、関西CILプロジェクトから緊急よびかけがありました。いちはやく当事者として、災害と原子炉による被害にあったいわきなどに行かれた、滋賀のセンター方の映像フィルムとお話、ゆめ風基金の事務局長八幡さんからのお話は緊急性をおびたとても胸が痛む内容でした。その後、大阪、神戸西宮などの募金活動の予定が発表されていきました。
つきあいのある団体のお手伝いの募金活動をしようかと考えていたのですが、今回の被災された障害の方たちを支援するには、幅広く訴えていく必要性があると考え、私の住んでいる三田で、たとえ人の少ない場所でもやろうと決めました。
後日、宮野さんに声をかけ、自立生活センター三田とぽしぶるの協働で、1週間に1回の募金活動を三田駅前でやることに決めました。
また、一方で、三田市まちづくりセンター内に募金箱設置依頼をお願いしました。三田市内での被災地支援への話し合いの時も、障害者のおかれた現場への思いを込めて、障害当事者として私は、支援をやっていきたいと集まられた方々に話させてもらいました。
4月6日から、27日まで毎週水曜日、17日は兵庫頚損の方々に応援していただいて、にぎやかに募金活動ができました。ありがとうございました。こうして4月は、5回救援募金をすることができました。
依然として被災地の状況は、原子炉の問題によって、ますます深刻化しています。復興のめども厳しく、不自由をかかえて長い年月がかかることも、予想されます。私たちも、毎週は体力的に無理でも、月に一度、第2日曜日に募金活動を続けてやっていこうと決めています。
全国的なニュースにも、だんだん被災地の情報が日々少なくなっていき、元々少なかった障害の方々の事が、取り上げられなくなってしまいました。とても悲しく怒りさえ覚えます。すべての当事者の方々の安心した生活が再び戻せる日まで、訴え続け、社会の人たちに、忘れ去られる事のないよう、三田でも支援をお願いしていきたいと強く思っています。
募金活動をして、いろんなことを経験することができました。貯められていたのであろうセロハンテープのきちっと留った硬貨の束、10円玉を貯金箱のようなビニール袋などなど集計の時は感謝と感激でした。小さな子供さんの手で、どの募金箱にもいれさせている若いお母さんとお子さんの笑顔は輝いていました。
見知らぬ行きずりの人たちからのこうした沢山の暖かい支援を、被災地への口座に振り込む事ができ、三田でもやってよかったとしみじみ思っています。