「縦横夢人」2018年夏号(No.21)2018年8月20日発行

巻頭言


 このざらっとした気持ち悪さは何だろうか。気象庁が「過去に例のない豪雨災害」を予告していたまさにその当日にオウム真理教事件の死刑囚7名が一斉に死刑執行された。法務大臣はその直後に他の閣僚と飲酒に勤しんでいた。「明日この人殺しておいてね」と言ったその足で、宴会を楽しめる心とはどんなものだろう。そして西日本豪雨災害では200名近い死者が出ている。政府に、そして御用マスコミに、「命」があまりにも軽く扱われていないだろうか。
 オウム事件死刑囚はまだいい。名前も何をやってきたかも公表されている。しかしどうだろう、2年前に発生した相模原事件の被害者の方々は。彼ら、彼女らは名前すら公表されない。確かに個人情報の問題はあるにしても、犠牲者が健常者の時とは明らかに別の扱いになっていないか。まるでその存在が最初からなかったかのように。介助者と外出すると、駅員や店員、あげくは見知らぬ人まで介助者にしか話しかけない。まるでそこに「俺」がいないかのように。
 三田監禁事件はどうだろう。裁判は徹底的に被害者である知的障害者を無視する形で進められた。これは地域福祉の問題として、進め方によっては課題解決のいいモデル事例になり得るものだった。しかし、裁判はなぜか拙速に、そして地域福祉とはかけ離れた形で結審してしまった。名前のない、そして顔のない障害者がまた一人地域からどこかへ消えていった。
 恥ずかしいことではあるが、過去に「俺」の選挙区で当選したことのある女性国会議員がLGBTの方々への差別発言を連呼している。彼女の論理では「こどもを産まないことは生産性がないことだから税金を使わなくてもいい」らしい。この論理で行くと、大体13歳から40歳前後の女性以外は殺されなくてはならないが、ご自身は、閉経後は海外移住でもするのだろうか。などと茶化している場合ではない。これは優生思想に基づいた考え方なのだ。ヒトラーはこの考え方を根拠にユダヤ人、障害者、共産党員などを抹殺していった。今、異質なものを排除しようとする気運が高まっている。そんな時代に、君たちはどう生きるか。

坂上 正司

もくじ

※今号では連載「糖尿病」は休載します。

 

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