大阪頸損連絡会「頸損だより」2004冬(No.92)兵庫頸損連絡会だより ~自分の生活は自分で守る命を掛けた大行動~

頸損だより2004冬(No.92)

兵庫頸損連絡会だより

~自分の生活は自分で守る命を掛けた大行動~

兵庫頸損連絡会代表 三戸呂克美

台風、地震が日本列島を襲った。この原稿を書いている11月の時点では、被害も大きく復旧の見込みさえ立てれない状態だそうだ。崩れ落ちた土砂、陥没した道路、水に浸かった家屋・・・良くぞ無事に脱出できたと驚くばかりだ。阪神淡路の震災のとき私自身も経験した。怖かった、恐ろしかった。忘れようとしていたがこのたびのことでまた思い出してしまった。読者の皆さんも同じではなかろうか。

そんな大きく被害をもたらした台風が通過している10月20日、東京では支援費制度が介護保険に統合される反対デモが行われた。暴風雨に近い中2000人規模のデモは我々の生活危機を訴えた正に命がけの行為であった。

11月3日、大阪でも大規模のデモ行進が行われた。東京のときとは打って変わって当日は良い天気に恵まれ、大阪市内にある扇町公園に集結した当事者と支援者の数は初めの予想を大きく上回り1800人超の規模になった(実行委員会発表)。扇町公園を出発した隊列は御堂筋を通り難波までの約6キロを3時間掛けて行進しシュプレヒコールをあげながら道行く人たちに障害者の現状を訴えた。兵庫頸損連絡会も大阪頸損連絡会と共にデモ隊のしんがりをガッチリと務めた。

(文責:三戸呂克美)

 

情報保障を求めて

平岡直義 

2004年10月20日、東京・日比谷公園で冷えと雨で震えながら厚生労働省の電気がついているたくさんの窓を眺めていた。雲がぼんやりと流れていく。自身、聴覚障害で、直接支援費と介護保険とは関わっていないが、自立支援者の一人として、また一人の人間として、国で束縛され、拷問されるのをなんとか防ぎたかった思いも手伝ってのデモ参加でした。

さかのぼって、2004年8月22日明石港の防波堤の上で、たこ焼きをほおぼりながら港の人に「危ない、どけ」といわれながらも、ぼんやりともらったばかりの資料と到着するフェリーを眺めていた。

その日の13時30分に、兵庫頸損連の企画した「介護保険に組み込まれる支援費制度の行方」というテーマの勉強会に参加していた。支援費介護保険統合というフレーズが目立って聞かれるようになった時期に、支援費と介護保険を独自で勉強してきたのだけれど、支援費の利用者ではないのと介護保険の加入者ではないという大きなギャップにどうしても乗り越えられる事が出来ず、どういったシステムになっているのか、言葉だけでは理解しにくい自分としては、モデルを設定し、比較しながら進むという内容に参加してみようという気持ちになった。

ただ、気持ちとは裏腹に、手話通訳や、要約筆記といった情報保障がなされていないと、不安が出てしまい、引いてしまう。自分みたいに言葉を感じる事がうまく出来ない人には特にその手話通訳、要約筆記の需要性が高くなる。過去に裁判所や、色んなところに「用意出来ない」と言われ、一緒に傍聴する方や、参加してる方に手話通訳や要約筆記を個人的にお願いする形をとる時が度々あった。通訳者がいるのか、情報保障は出来ているのか、という事だけで安心感は大きいのです。肝心の内容や、入りたかった事が出来なかったり、自己満足や想像の領域で完了してしまう。

そんな中、この勉強会に参加申し込みする時「手話通訳の配置はどうなってるのでしょうか?」とメールしたところ、「確保します」とのお返事が早々に頂き、自身も参加者としてだけではなく、一人の人間として扱ってくれた事に、少なからず安心感と生きててよかったという安堵感、そしてやったるぞという気持ちが、同時に出てきました。手話通訳の用意だけでこういう気持ちが出るという事も単純だけど、自身に生きている強みがこみ上げてくる。

現在、まだ情報保障というのが、施設、駅や、交通などのバリアフリーと同列に扱っていない意識が今の社会には大きくある。見えない壁というのがもっともな理由だと思う。言葉は音声だけではなく、視覚的な言葉があるし、心の中にしか存在しない言葉もある。発して受け止めればそれが言葉として人々に存在していくのだけれど、発する事が出来ない、または受け止められない「言葉」も存在しています。自分はそれらを少しでも繋がる事ができた兵庫頸損連の動きに大きな感謝をささげたいと思います。

自分自身、手話でうまくコミュニケーションが取れないというのがあり、ちゃんとコミュニケーションを取る為には形よりまず人の良さを引き出す事かなと思っています。

支援費制度によるショートステイ利用

桜井龍一郎

 

10月の終わりから1週間ほどショートステイに行ってまして、三戸呂さんからそのことを書いてほしいと依頼されたときは、お受けしようかちょっと迷いました。というのも、このショートステイは私が日頃家族と暮らしているがために、家族の事情で必要になったもので、在宅介護サービスを利用して自立生活を送っていれば本来必要のないものであり、全国の障害者が地域で自立生活を行うことを目標に努力している中、皆さんに知っていただいてもあまり参考にならない情報かと思えるからです。それより、自立生活実践者の方から、その経験をお話いただいた方がよっぽど有益でしょうし、私の事例は世の中の障害者の目標に逆行するものではないかと思えるのです。それでも、参考にするかどうかは読者の皆さんに判断していただくということで、まずは自分の体験をありのままに書いてみようと思います。

支援費制度の居宅支援サービスにはショートステイもあり、今回この制度を利用しました。自治体への支給申請で月7日間の支給量を受けていまして、契約は以前に数度利用したことのあった、ショートステイサービスを行っている身体障害者施設と行いました。今回は8日間の利用が必要だったので、10月25日から11月1日と、月をまたいで計8日間の利用となりました。利用者が多く、1週間ともなる長期の利用はなかなか予約が取れず、今回の利用も半年以上前に予約を入れていました。利用している施設では最大で同時に4名までショートステイができ、予約状況が示すように、私のショートステイ中もほぼ毎日4名の利用者がありました。私は8日間の利用でしたが、私のように長期の利用は少ないようで、大抵2、3日の利用が多いようです。私と同時期の他の利用者も、だいたい2、3日で入れ替わってました。部屋は、2つが個室、1つがアコーディオンカーテンで仕切られた2人部屋で、私は2人部屋の利用となりました。個室は、共同生活に支障のある方に主に割り当てられるようです。利用者、また施設入所者は脳性まひの方が大部分で、頸髄損傷者はみた限りではいませんでした。

ショートステイサービス利用者担当のヘルパーは日中2名、夜間1名で、計10名弱ほどのメンバーでローテーションを組んで当たっていました。その他に全施設で看護師が5名おり、排便、膀胱洗浄は看護師の担当でした。一日のスケジュールは、7時起床、8時朝食、12時昼食、6時夕食、9時就寝、入浴は週3回、排便、膀胱洗浄は、こちらの希望で普段の生活通りそれぞれ週2回、週4回行ってもらいました。空き時間はもっぱら持参したノートパソコンで平日行っている仕事をしていました。ワイヤレスでインターネットに接続できる機器を用意して、初めの3日ほどは正常に通信できていたのですが、それ以降なぜかトラブルで通信できなくなり、これがちょっと痛かったです。それでもヘルパーさんはどなたも親切に介助してくださり、家の通りとはいかないまでも、快適な生活を送ることができました。

以上、私のショートステイ体験について思いつくまま書き綴ってみました。こんな状況から早く脱却して自立生活を始めろと、皆さんから叱咤の声が聞こえてきそうな内容ですが、それでも何かの参考になれば幸いです。

坂上さんが転落しそうになったノンステップバスは?

三戸呂克美

以前、会員の坂上さんがノンステップバスに乗り、降りしなに運転手の移動操作が悪く転げ落ちそうになったとメーリングリストで報告されていた。ノンステップバスとは、写真のように車いすごと乗れる路線バスのことである。

私は明石駅と県リハの路線をよく利用する。バス会社は神姫バスである。料金が安く(100円)、運行も平日は1時間に2~3本出ている。運転手がスロープの出し入れを行い介助者がいないときは介助もする。車内は座席を跳ね上げると車椅子用スペースになる。「固定は?」と聞かれるが断る。手すりを持つことでいけてるが危険だとは思う。身体の不自由な乗客が多いのでそれなりに運転はスローだが中にはへたな運転手もいる。しかし、何よりも安いのが魅力だ。利用することで運転手の技術を高めることになるだろうと思ってせっせと利用している。坂上さんが一歩も引かずに運転手、またバス会社に反省と今後の事故防止をうながせたやり方はありがたい行動だ。まだの方は一度利用してください。安くて病みつきになります。(くれぐれも乗降時、走行時は細心の注意が必要です。)

【主な活動記録】

8月22日 兵庫・大阪共催学習会『介護保険に統合される支援費制度の行方』
9月18・19日 全国代表者会議(神戸市舞子ビラ)
10月7日 明石市社協ヘルパー研修講師派遣
10月11日 兵庫県社会福祉事業団小野起生園保護者会講師派遣
10月30日 播磨看護専門学校 学校祭講師派遣
11月3日 支援費制度と介護保険との統合反対デモ参加

ナースから見た最近の医療現場【病院編】看護師 重田はるみ

さて、最近の時代の流れの速さには目を見張るばかりですが、技術が進歩し情報も大容量が瞬時にやりとりされる中で人も多様化しています。医療業界も大きな改革を求められていると思います。一番わかりやすい形ではTVなどのメディアでよく取り上げられている医療事故に関することでしょうか。患者さん本位の医療が求められるのは当然のことですが、知識が無ければ理解が難しい専門性や、今でも時々見かける「先生にお任せします」といった日本人独特の性質で長い間うやむやになっていたのだと思います。私は基本的にはコミュニケーションがしっかり取れていれば大きなトラブルにはならないと思っています。ドクターからの説明を患者さんが録音されることがありますが、緊張しすぎてたどたどしい話をしている研修医を見かけるとこれでちゃんと伝わるのかなと思ったりもします。デリケートな問題だからこそ信頼して本音で話せる関係を作っていくことが必要だと思います。私が働く病院でもサービスの向上を目指して研修をしています。患者さんからお客様という視点で捉えてホテル並みの応対をすることが主流になっていくでしょう。

長い不況が続いていますが病院も経営努力を求められています。正に生き残りを掛けた患者さんの取り合いが始まっています。コストの削減に事務方は必死の様相で現場のスタッフと話し合いを持つことも増えていると思います。本当に必要なことや医療の質は絶対に落とすべきではないと思います。

IT化の流れの中で在宅医療もますます進んでいくと思いますが、病院は患者さんの入院日数が減りベッドの回転効率があがることを考える背景もあります。ITといえばカルテの電子化ですが、すべての検査などのオーダーや記録がパソコンで処理され、患者さんを何時間も待たせることは少なくなると思います。

私は医療現場でナースとして働いていますが、最先端を行くアメリカに続いて専門性を追及する流れがあります。大学や大学院で研究をしたり認定看護師としてその分野のエキスパートとして現場で活躍するナースが増えています。救急や糖尿病、ガンなど14の分野があり指定の教育課程を修了する必要はありますが、看護ケアの質の向上につながっていくと思います。

とりとめもなく書いて来ましたが看護師として患者さんの代弁者の役割をになう者としてよりよい医療を目指していきたいと思います。

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2004秋(No.91)兵庫頸損連絡会だより ~制度が変える重度障害者の生活~

頸損だより2004秋(No.91)

兵庫頸損連絡会だより

~ 制度が変える重度障害者の生活 ~

兵庫頸損連絡会代表 三戸呂克美

支援費制度が始まり一番喜んだのは重度障害者自身であろう。その次に喜んだのは、重度障害者をケアしている家族や周りの関係者だろう。その次に喜んだのは、仕事が無かった人かもしれない。その次に喜んだのは・・・と、多くの人が関り喜ぶ人が増えているのに今見直そうとされている。その理由も財源が無い、というだけである。支援費制度が始まった昨年の4月、多くの重度障害者が申請をした。その結果、地域格差が浮き彫りとなった。問題点も出ている。制度開始前に国が出した時間の上限問題が懸念されていたとおりに進んでしまい、今も尚且つ減らされているところもあると聞く。しかし、上には上があるもんで、制度さえ知らない役所の担当者がいるという。その自治体では申請者ゼロだそうだ。申請者がゼロといっても対象者がゼロということではないだろう。そんな、こんなも含めての見直しであればいいがそうでもなさそうである。

介助の仕事につき、収入があり、という事から経済が上向いているのもあながち支援費制度が関係していないとは言えないだろう。支援費で国が出したお金が200億を超えていると言うが、利用者がポケットに持っているわけではない。勘違いが生じる原因もここにあるのだ。経済効果・・・例えば、ヘルパーの資格をとり訪問介護員として事業所に登録する。そして在宅生活をしている重度障害者の支援費制度利用者宅で仕事につき得た収入で物を買う。これって生きたお金の使い方ではないだろうか。福祉は金がかかるといわれるが今に始まったことではない。そのつど新しい制度が出来また消え、と繰り返している。その背景には戦争と経済の浮き沈みがある。このたびの支援費制度も現在の社会情勢にもてあそばれているのかもしれないが、ここは我々当事者が力を合わせて守り抜かねばならないだろう。


『ヘルパーと支援費制度』

関西福祉大学 長野範子 

私にとってホームヘルパーの仕事から学ぶことはとても多い。障害者の方へのホームヘルプサービスは、100人いたら100通りの支援があるといわれているほど個別性が高い。その分、ホームヘルパーの力量が試されているようにも感じるが、まったく同じ支援が存在しないと考えると面白い仕事だとも思う。

2003年からの支援費制度により措置から契約へ変わり、障害者の方が自らサービスを選択していくようになったが、ホームヘルパーは利用者の意思および人格を尊重して、常に利用者の立場に立ったサービスの提供に努めることになっている。ホームヘルパーの仕事は身体介護、家事援助、移動介護、日常生活支援と、支援費制度の中では区分されている。まず、日常生活の基盤を支えることは基本であるが、障害者ホームヘルパーにとって障害者の方の社会参加、自己実現への支援も重要であると思う。人間にはいろんな価値観を持つ人がいるけれど、町に出ていろんな空気を吸い、情報を発信、受信し、社会を動かしていく。そんな障害者の方の姿に影響され、私はますます障害者ホームヘルパーとして役に立ちたいと思う。

支援費制度が始まって一年と少ししか経っていないが、介護保険制度との統合問題が浮上していることを知った。支援費制度の導入の際もサービス提供時間の上限問題等でばたばたとしていたように思えたが、支援費制度は二年で介護保険制度と統合されてしまうかもしれないと思うと、障害者の方が早く落ち着いて生活できるような制度にまとまってほしいと思う。今後、障害者福祉の分野でどのような制度にまとまっていくのかは不安だが、障害者の方の社会参加、自己実現への支援、利用者の立場に立ったサービスの提供ができるように、共に学ばせていただき支援していきたいと考えている。


≪施設生活の現状報告≫

(兵庫県内の施設入所中) 匿名希望

私は身体障害者療護施設に入所し約3年が経ちます。身体障害者療護施設とは在宅で生活するのが困難な重度障害のある方が介護を受け安心した生活を過ごす所です。

大まかではありますが私が約3年生活をしてきた療護施設についてお話させていただきたいと思います。まず入所者は50名おり、ショートステイで利用されている方もおられます。入所されている方の年齢は18歳から65歳までと広く先天性の障害の方や中途障害の方と障害もさまざまです。老若男女が揃いとても個性豊かな施設です。食事は朝・昼・夕食、食堂でみんな揃って食べます、体調を崩した方は居室で食事を取るので1人の顔が見えなくなるとみなさん自分の事のように心配し声を掛けてくれます。

また施設では年間行事として様々なイベントを利用者と職員が意見を出し合い企画し行っています。この時期だと花火大会などがあり私たち利用者にさまざまな工夫を凝らし綺麗な花火を見せてくれてとても楽しませてくれます、この他に勿論外出等さまざまなイベント、旅行などもあります。

やはりあくまでも団体生活なので面会、外出など自由ですが大変沢山の決まり事があります。すべての利用者がそれを正確に守っているからこそみなさんが楽しく毎日を過ごして行けているのだと思っています。

今年の4月から自治会が設立され施設を良くしようと言う話し合いも頻繁に行われるようになりました。自治会ができてこの施設も今よりもよりよくなることだと思います。

ここで少し自分自身の事を書かせてもらいますと、在宅では健常者の中に障害のある自分が居てと同じ境遇を持つ人が近くに居なかったので施設に入所して他の利用者の方との交流を通じ沢山の事を感じられますしいろんな事を学べます。とくに自分のすべての事に対する考え方が変わってきたと実感しています。

最後に療護施設の良い所ばかり書かせてもらいましたが、私も含め全ての利用者がこの施設での生活に満足しているか私にはわかりません。1人1人違う考え方があるのですから当然の事だと思います。

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2004夏(No.90)兵庫頸損連絡会だより ~設立一年が経過した当事者の変貌~

頸損だより2004夏(No.90)

兵庫頸損連絡会だより

~ 設立1年が経過した当事者の変貌 ~

兵庫頸損連絡会が昨年4月に設立されて1年が経過しました。同時に始まった支援費制度(Wikipedia)は重度の障害を持つ者に大きな変化がありました。変化した一つに介助者探しがあります。制度が始まる以前の生活は絶えず介助者探しに多くの時間を費やしていました。それに費やすエネルギーは計り知れないものでした。制度が出来て事業所との契約で介助者探しからは解放されました。制度を自分にあったプランで運用され、家族、身内に頼っていた介助者も、肉体的、精神的に解放されました。しかし新たな生活にも慣れてきた矢先、今度は財源不足から来る国の安易な施策として、介護保険に組み込む話が浮上しています。介護保険に組み込まれるとどのようになるのでしょうか。現在の生活は維持できるのでしょうか。不安や疑問があふれ出てきます。それでは不安や疑問をどのようにすれば満足の行く解決が出来るのでしょうか。それには一人一人が解決に向かって進むほかないのです。しかし、一人の力ではどんなに頑張っても壁を越えることは難しいかもしれません。みんなの力を一つにする、そのために頸損連絡会があります。頸損連絡会は一当事者団体です。多数の当事者に共通の利益の実現を目指して活発に活動しています。

しかし、読者の皆さんも感じておられることでしょうが、目標とする利益(例えば:支援費制度)がたとえ獲得できたとしても、それを会員のみで独占することは出来ません。会費を払い、また時間や労動力を提供して会の活動に参加した人たちの成果を何もしなかった人がまったく同等に享受する事も可能です。すなわち「ただ乗り(フリー・ライド)」が容易に出来てしまうのです。しかし、会に入っても何のメリットもないと思われている方がおられるのならそれは大きな間違いでしょう。情報を集めるのなら今はインターネットで充分とお考えの方もおられるでしょうが、本当に必要とする情報は当事者から直接聞く生の声です。頸損連絡会がその重要な役割を担っていると思います。頸損連絡会に入っていてよかった、と言われる会を今後も目指して行きたいです。

(文責:三戸呂克美)

若葉がゆれる

吉田みち

山々が新緑につつまれ若さに溢れだすと、虫たちも動きはじめる。移り変わろうとするのは自然だけではなく、わたしたち人間の心と身体も同じように動きはじめる。

今年の2月に、ピア・カウンセラー養成講座を受けに私は東京に行った。まだまだ風が肌にさす季節だったが、穏やかな天候に恵まれ富士山が見えた。嬉しさの余り「アッ富士山!」と叫んで、それまで鼾をかいていたおじさんをも窓に目を向けさせてしまった。

最近になって私が感じている事は、何かが動く瞬間とは、静かな水面が一粒の小石によって波紋が広がるように小さなきっかけから始まるのではないだろうかと?

2002年の秋に私はピア・カウンセリング(JIL)集中講座を初めて受けた。その時、東京行きなど考えてもいなかった。ただよく解らないままながら、自立生活センターを三田でやりたいという思いが強くあった。

それは身体的には高熱や痛みや痺れ、精神的には障害を感じた日や哀しみなど、ひとコマひとコマが目を閉じると、ひとつの物語のように浮かんでくる。

砂漠を1人でとぼとぼと歩いているような淋しさを抱えていた頃、折々に出会った色んな人たちから、多くのサポートを受けてきた事をけっして忘れはしないし、こうして生きてこられたという意味について考えないではおれない。

振り返れば振り返るほど、それらの恵にたいしての感謝は大きくなる。

そして私のできる事はと考えると、もらった多くの人たちへ直接的なサポーターはできなくても、誰かのサポートをできるようになり、痛みを抱えた仲間との出会いを大切にしあう関係をつくる事だと思うようになった。

時代や社会と言うと、何か大きな問題のように感じるけれど、1人の人間から、一粒の点から、それらは繋がって出来ていくのではないかと思う。私もまた一粒の小石として小生意気でも水面に何かを投げかけたい。ピア・カウンセリングという手法を学んで、自立生活センターと呼ぶ輪を作りたいと、若葉の香りに刺激され、より強く私のこころが、いま騒ぎだしている。


私と頸損連絡会との出会い

八十原麻貴

こんにちは。理学療法士学生の八十原麻貴と申します。

いつもお世話になってます。頸髄損傷者連絡会にお世話になるようになったのは、約2年前からになります。当時は理学療法士の養成校の1年生で、何かボランティアをしたいと思い、ホームページで検索をしていた時にたまたまこの会をみつけました。定期的に勉強会やレクリエーション、役員会を行い、積極的な活動を行っている印象を受けて、お手伝いしてみたいなと思いました。

また、病院から退院された患者さんはどう生活していて、家庭に戻った時、どんな事に不便を感じ、何に悩んだり、困ったりするかを知りたいと思い、連絡会の皆さんからいろいろ学ばせていただければと思いもあって、参加させていただくことととなりました。

実際に行事に参加させていただいて、自分の経験不足から、何が必要で何が必要のないことかわからず、気をもむこともありました。

ボランティアは何かお手伝いをしたくて来ていますが、なにが過剰な援助で、なにが必要なことかわからずに変な遠慮をしていたりします。遠慮なく使って欲しいと思います。

また、頸髄空洞症や支援費制度について勉強会に参加させていただいて、合併症や制度に対しても、それぞれの受け取り方の違いや対応の違いに驚きました。いろんな独自の方法をご存知なのだなと感じてます。

1年生のころからお世話になっていますが、私も養成校の3年生となり今、病院実習中です。病院実習が終わったらまたお手伝いに参加できればと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2004春(No.89)兵庫頸損連絡会だより~移動確保の現状をかえりみよう JR転倒事故~

頸損だより2004春(No.89)  

兵庫頸損連絡会だより

~ 移動確保の現状をかえりみよう ~
JR転倒事故

姫路市 田村辰男

ついにJRでチェアメイトの転倒事故がおきました。以前よりその危険性が多くの障害者より指摘され、東京などでは次から次と廃止されていたにもかかわらずJR西日本の時代遅れの対応、もう、怒りが爆発です。ステッピングカー(チェアメイト)からの転倒は正確には階段を上りきった後、そのステッピングカーからの地面へ降車の際にスロープから脱輪、電動車イスごと転倒です。  

被害者のM君は頭部を強打、脳シントウでしばらく意識不明。救急車で病院へ直行。留置カテーテルも引っ張り抜け、多量の血尿。病院ではカテーテルの入れなおし。CTスキャンなどの検査。取りあえず、腫れなどがあるものの脳内は異常なしということで、その日に帰宅はしたのですが、その後、2日間にわたり38度以上の熱と血尿が続いたそうです。左肩打撲、顔面なども強打しており、食事をとるとコメカミやアゴがズキズキと痛み、夜も眠れず大変に不自由な思いをされました。  

精神的なダメージも大きく。もう二度とJR姫路駅は怖くて利用できない、かなり離れてはいるが新幹線を利用する際には「エレベーターがある新神戸駅にする」と言っていました。彼のトラウマはしばらく続きそうです。もちろん、電動車椅子は修理が必要です。  

さらに問題なのはJR姫路駅ではステッピングカーの危険性を全く理解しておらず、エスカレーターより安全とこれからどんどん使うつもりでいるのです。 説明に来た助役が逆に「ステッピングカーが危険」と障害者団体などが今まで要望された例があるのですか?と聞き返される始末です。 ホント、ふざけていますよね。 

参考資料→DPI日本会議(公共交通機関での事故-チェアメイトの危険性)(HP管理人追加)


2003年12月3日

JR西日本 御中  

兵庫頸髄損傷者連絡会
代 表  三戸呂克美

バリアフリ-に関する要望書

拝啓、平素より、貴社におかれましては、公共交通事業にご尽力くださり、心より敬意を表します。  

当会は、頸髄損傷者を中心とした当事者団体です。(詳しくはホームページをご覧ください。)  

去る、10月26日(日)午前11時40分頃にJR姫路駅新幹線ホームにて、ステッピングカー(キャタピラ式階段昇降機、別名チェアメイト『写真参照』))を使用中、当会会員のM氏が電動車椅子ごと転倒落下し頭部を強打、救急病院へ運ばれるという大事故が発生いたしました。すでにそちらにも連絡が入っていると思います。  

さて、当会ではこの事態を重くとらえ、ステッピングカーの危険性を指摘し、改善を求める必要があると考えます。多くの障害者よりその危険性が指摘されているのです。東京の障害者団体からは要望書が提出され、JR東日本を始めとする関東の鉄道各社では具体的対応策が取られております。ステッピングカーは、すでにその危険認識のもとに、過去の遺物とさえなりつつあります。  

よって、以下について当会は要望します。
1. 先ずはステッピングカーについて現状把握を行ってください。  

JR東日本を始めとする関東鉄道各社がステッピングカーについてどのように対応しているか調査してください。さらに約50台のステッピングカーがJR西日本管内に配備されていると聞きましたが、それらの駅で何の問題もなく使用されているかどうか。何度も使用されている駅であればあるほど危険な事実があったはずです。障害者からは危険であるとの不安の声はなかったか。また階段昇降中に「滑り」やまた危うく転倒しかけたなどの事実がなかったか。
2. その結果に対する対応策を直ちに実施ください。  

全ての駅にエレベーターの設置がもちろん最善策ですが、それも諸事情ゆえに直ちにその実施も難しいと理解しております。その場合、暫定的な対応としてエスカル(階段斜行リフト)の設置をご検討ください。なおエスカルは関西では阪神三宮駅や阪急河原町駅に設置されています。 (参考資料)http://www.kotukodo.com/syoukouki.htm
連絡先(兵庫頸髄損傷者連絡会)    

〒674-0068 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通2丁目3-5-1-205
三戸呂(みとろ)克美(かつみ)
TEL/FAX 078-934-6450
E-Mail: hkeison@yahoo.co.jp  


 

再び東京駅

吉田みち 

2月7日あの日が甦る!約7年前、この場所、東京の駅長室。私たち3人は大阪府立身体障害者センターで、共に1年余りを過ごした仲間である。15,6年のブランクを於いて再会してからは年に1回、1泊旅行をするようになっていた。最高11人で城之崎の蟹づくしの旅などもあったが、この時は3人での潮来(茨城県)からの帰りだった。新大阪で新幹線の切符を買った時のように、東京駅で切符を受け取った途端、手動車椅子の1人を見てその切符は引っ込められてしまった。窓口の向こう側から駅長室で待つように言われる。脳性麻痺の2人と松葉杖だった私たちは窓口と駅長室を行ったり来たり、その内に見ていた若い女性が一緒になって抗議をしてくれたが、待つこと延々。もともと早い時刻ではなかったのだが、駅長室に駅員が来てくれた時は、もう新大阪着の新幹線が名古屋乗り換えしかなくなっていた。結局は困った駅側からの手配で夜行バスに乗って夜明けの大阪に帰った。3千円という安上がりは良かったものの、車椅子が1台で付き添いがいないという理由からお金を突き返された事は納得のいかないものであった。電動や車椅子の仲間をいれた当時の私たちは、自分の事は自分でまかない、お互いに助け合いながらも介護者を必要としていなかった。 ピア・カウンセラー養成講座を終えての帰り、電動車椅子に乗って、いま介護者と娘との3人連れ、おなじこの広い障害者トイレ付きの駅長室に来た! 少し離れて向かいの切符売り場の窓口を見て、当時の私自身を思い出し妙な気分に襲われる。1種の1級でも歩けたあの頃との違い、表面的ではなく実感として感じる。指を黒豆大福でねばねばにしながら、置かれた長椅子が以前とちっとも変わらないような気もしていた。  


重度障害者の移動の現状

三戸呂克美

  重度障害者の移動手段は公共交通機関のみといっても過言ではない。それは、安い、安全、早いと言えるからだ。多くの障害者の先輩が移動確保の運動をして今の移動の形ができた。乗車拒否や対応の遅さ、まずさで、乗りたい列車に乗れなかったと言う話もある。今でこそ、重度障害者が一人旅をできるようにもなった。しかし、前述の吉田さんの記事は、障害者の自立が理解されずに厳しかったときのことを思い出されたものだ。また、田村さんの記事は先日のことだ。JRになり体制は変わったといわれるがまだ旧国鉄時代の考えで仕事をされている人がいるのが現在の実態である。要望書を出しても何の返事も無い。「まだこんなことをやっているのか」、と移動問題に取り組んでいる仲間は言うに違いない。  

兵庫県内の鉄道ネットは寂しい限りだ。南から北に行くのは2本の路線しかない。福知山線と播但線だがそれも車椅子だと入り口が狭く、おまけに列車の中に階段があり乗れない列車もある。都市部を走るのは電車だ。電化され多くの乗客を運ぶのだが、地方に行く列車はディーデル車だ。当たり前だが、電化がされていない路線に電車は走れない。高速道路はたくさんできた。まだまだ作ろうとしている。六甲山のお腹は多くの自動車用トンネルで蜂の巣状態だ。しかし、鉄道の路線は無くなる一方。高齢社会が迫っていると言いながら道路ばかり作っている。将来誰が通るのだろう。  

JR明石駅にある看板には、「速さはJRのあかしです」と書いてある。速さだけでなく、安く、安全、を目標にしていただきたい。我々は今一度、「安全な移動の確保」という会設立時の目的に立ちかえる必要がある。

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2003冬(No.88)兵庫頸損連絡会だより~支援費制度開始6ヶ月を振り返って~

頸損だより2003冬(No.88)

兵庫頸損連絡会だより

去る、11月16日(日)兵庫県明石市において『支援費制度6ヶ月を振り返って』のフォーラムを開催しました。今回開催したフォーラムは兵庫頸損連絡会が発足して県内で行う初めてのイベントで大阪頸損連絡会との共催でした。

当日は週間天気予報によれば大雨のことでしたが、なんと!予報を覆しての晴天、しかも寒くもなく、暑くもなく頸損の我々にとっては外出日和と天も味方してくれた当日でした。参加者の出足も早く開場時間の13時には多くの方が集まり準備で受付をお待たせする状態でした。

アンケートには、次回も是非参加しますと、支援費制度(Wikipedia)に関心が高く自立生活には欠かせない制度であることを再考したフォーラムでした。

(三戸呂克美)

支援費制度開始6ヶ月を振り返って
~ 支援費制度の上手な使い方 ~ 報告

11月16日、お天気良し、また交通便も良し、「秋の勉強会」にふさわしい会場で、初の兵庫頸損連での行事が約50名という参加者の熱気に包まれて、明石城の南下「明石生涯学習センター」にて開催されました。

兵庫頸損代表の三戸呂さんの、にこやかな笑顔とご挨拶は温かい当日そのものであり、パネリストの桜井龍一郎さん、廷澤庸行さん、宮野秀樹さんの、お話は「支援費」に対する濃い中身で時間はまたたくまに過ぎていきました。

(1)1週間のケア計画

(2)支援費以前よりよくなった点

(3)支援費以前より悪くなった点

(4)「こんなことにも支援費が使えますよ」とアピールしたいこと

以上の配布資料によりパネラーの方からの報告がそれぞれあり、頸損と言う同じ障害でも、介助を必要とする度合い、生活様式また思考による違いを抱えて問題が活発に出されました。

支給量の使い方では、事業所との関係によるケア計画、曜日と時間帯のやりくりなどに対する質問の中で「もう少しわがままな障害者になってみては如何でしょう?」と心強い意見がありました。

またこれから支援費を受けられるご家族と、パネラーとの応答では、「必要な事はすべて言うように」「時間をかけて(頑張りで)出来る事」は「できません」と言うようになど経験者でないと言えないアドバイスがあり、あらためて行政に対して自らのケア計画を示す必要性を学んだひとときでもありました。

市町村による差、個人的な選択、工夫などとこれから先も「支援費」は目の離せないものの、自己決定する生き方、自立した生き方をしようとする仲間で溢れた会場からは、時には爆笑も響き頸損会の頼もしさを感じた1日となりました。ただひとつ司会進行をして下さるはずの、坂上さんの体調がお悪く参加されなかった事は大変残念でした。

三戸呂さんお疲れさまでした。大阪頸損のみなさまありがとうございました。

(吉田みち)

『主な質問とアドバイス』

(注:アドバイスはパネラーの皆さんの経験によるものです。)

質問1.事業所の探し方をどうしたら良いのか?~事業所を探すポイント~

  • 頸損の仲間から聞き出す
  • 行政で市町村の事業所一覧の資料をもらい電話を入れる
    • →事業所の良・悪は言わない
    • →電話を入れ、実際に来てもらう
      • ☆電話対応は良いが、実際のサービスが伴わない事もある
      • ☆「 来て下さい。」と言われる事業所は辞めておいた方が良いのでは・・・
  • 会社組織でしている所は利益が上がらなければ潰れてしまう可能性もあり、後で困る事もある
    • →補助を受けている事業所はどうか (NPO法人とか)
  • 訪問してくれる(来てくれる)人が好きだからお願いしている
    • →自分が来て欲しい人を探すのも一つかも
  • 複数の事業所を利用してみていい所を探す

質問2.日常生活支援はどう申請するのか?また、移動介助はどういった時に使用するのか?

  • 自分たちでケアプランを立ててみる
  • 現在、付き添っているところ(介助が必要なところ)を時間にしてみる
  • 利用者本人からの希望がある程度、取り入れられる
  • 長時間の介護(身体介護)の場合、日常生活支援に入りやすい
  • 身体介護であるという事を伝える
  • 移動の中に、支度や移動先での部分も含まれる
  • タクシー事業所でないと、リフトワゴンの運用ができなくなった ※ タクシーか、市のリフトワゴンの利用が可能月4回等、決まった回数で、定額料金で利用できる

質問3.ショートステイはどう利用するのか?

  • ショート枠は別にあり、申請する

質問4.身体障害者へのケアマネージャーは必要か?

  • 必要な方には必要ではないか
  • ケアマネージャーが決定してしまうようでは、ちょっと・・・
  • 主体は本人であるので、最終的には本人が決めるのが一番
  • ケアマネージャーが決定権を持つのは良くない
  • 介護保険とは理念が違うので、必要ないのでは。アドバイスしてもらえれば良いと思う。
  • 支援費制度もいずれは介護保険制度に吸収されるのでは・・・

《 まとめ 》

障害があっても自分の生活は自分で創る。支援費制度も利用しよう!!

(文責:三戸呂克美)

<兵庫頸損連絡会だより>

~頸損連インターネットNEWS・兵庫編~

桜井龍一郎

毎号「頸損連インターネットNEWS」を担当しております桜井です。すでに皆さんご存知かもしれませんが、じつは私、大阪だけでなく兵庫頸損連のホームページも担当しております。ということで、今回はいつもの原稿に加えて、兵庫頸損連のホームページにつ

いての原稿も書くことになりました。つきましては兵庫頸損連ホームページの開設から在までの経緯を簡単に紹介いたします。

兵庫のホームページを作る話が出たのは2003年3月だったと思います。大阪の場合は、私個人用のサーバスペース内に設置したため、ホームページアドレスに私の名前が出てしまったのですが、兵庫では専用のアカウントを取得し、ホームページアドレスもすっきりさせることができました。会の紹介や、サーバ備え付けのカウンターや掲示板、チャットルームを設置した程度の簡単なページ構成に、テキストベースのこれまた簡単なレイアウトで開設にこぎつけたのは兵庫頸損連発足の少し前、2003年3月15日でした。

その後、会の沿革、設立の案内などを追加し、5月にレイアウトを少しましなものに変えて、現在に至ってます。ということで、まだまだ内容的には不十分なホームページですが、今後少しずつ充実させていきたいと思っていますので、大阪ともども兵庫のホームページもどうぞよろしくお願いいたします。

「兵庫頸髄損傷者連絡会」

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2003秋(No.87)兵庫頸損連絡会だより~支援費制度になって思うこと~

頸損だより2003秋(No.87)

兵庫頸損連絡会だより

支援費制度になって思うこと
4月から何が変わったか?

よしだみち

この自問は頸損になって5年、自分の生活について拘りが始まったからとも言える。若年性リウマチで元々1級の障害であったけれど、福祉課に行くのは自助具の相談か高速割引をもらうかくらいで生活支援は受けないでいた。私は障害と共に育ってきた中で生活の仕方はそれなりにできていたからである。しかし頸椎C5になって二年三ヶ月の入院生活が終わり在宅生活になるとホームヘルパーを頼まなければ何一つできない。けが以前は障害者と呼ばれてもひとりの人間には変わりはないと思っていた。けれどもこうした生き方を理解されるのは大変難しく、措置制度では「して上げる、して貰っている」といった関係から出ることができなかった。

こうした時に「自立と社会参加」「自分で選べる」など謳われた支援費制度(Wikipedia)が始まった。自分なりの生活を考えて講演を聞きに行ったり、インターネットで調べたりしながら、支給量の時間内での介護計画を始めた。一ヶ月が過ぎて吃驚、第5週日によって時間量が足りない! 日曜日は同居人がいてヘルプ無し、日数だけの支給量は元々出ていない。この日から電卓片手の毎日、あなたにとって生活は何からと聞かれたら一番に「排泄介助」が現実。頻繁なトイレを中心にした時間割を組まなくてはならない。家事は一時間からしか取れない、トイレは身体0.5がいる。0.5の世界でこんなに悩まされるとは思ってもいなかった。第五週の多かった7月は最悪で60の移動介護を全部使ってなんとか過ごした。市にも3度目の変更届けを出すと、私のファイルをパラパラしながら担当者曰く「結局はじめから(変更時間)同じなんですね・・・」「当たりまえでしょう!」と大きな声で言いたかった。人間の生活が時間道理にすべて行われる方が不自然で大変な事すらも理解されない言葉。まだまだ続く0.5との攻防本当に疲れる支援費制度である。

支援費制度勉強会のお知らせ!!

【開催要項】

  • 日時:2003年11月16日(日曜日) 午後1時~5時
  • 場所:明石市生涯学習センター 8階 学習室3 (アスピア明石北館内)
  • 交通アクセス:
    • JR明石・山陽明石駅南口から東へ徒歩3分
    • JR大阪から新快速で34分、JR姫路から新快速で22分
    • 阪神梅田から直通特急で58分、阪急梅田から特急(高速神戸乗り換えで58分)
    • 車で来る人はアスピア明石駐車場を利用。(身障手帳持参で半額になります。)
  • 問い合わせ先:三戸呂克美まで
  • メール:hkeison@yahoo.co.jp 電話:078-934-6450
カテゴリー: 兵庫頸損連絡会だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2003夏(No.86)兵庫頸損連絡会準備室だより~兵庫頚損連絡会設立について~

頸損だより2003夏(No.86)

兵庫頸損連絡会準備室だより

2003年(平成15年)4月1日(火曜日)兵庫頸損連絡会が静かに発足しました。2年間の準備期間を経てのスタートです。兵庫県に頚損の会が今までなかったのはなぜでしょう?誰もが疑問に思われていたことでしょう。その事を流れにしたスライドを作成しました。
※スライドは、兵庫頸損連絡会ホームページ「兵庫頸損連絡会設立について」をご覧ください。
去る、4月27日に大阪頸損連絡会の総会が堺市泉が丘にある『ビッグ・アイ』で開催されました。その席上で参加者の皆さんに会設立のプレゼンテーションを上記のスライドを使用して行いました。また大阪会員の太田君手作りのくすだまを割り祝っていただきました。これからは、各地域で生活している仲間と連絡を取り合い、情報を発信・交換できることを当面の目標として会活動を進めたいと思っています。大阪の会員の皆さんにもご協力よろしくお願いします。

(文責:三戸呂克美)
カテゴリー: 兵庫頸損連絡会準備室だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2003春(No.85)兵庫頸損連絡会設立準備室だより~生活をみつめるチャンス~

頸損だより2003春(No.85)

兵庫頸損連絡会設立準備室だより

~生活をみつめるチャンス~

兵庫頸損連絡会設立準備室
代表 三戸呂克美

待ちにまった2003年も始まりました。我々重度の障害をもつ者にとって大きく変わると思われる年でもあり、自分の生活をみつめるチャンスでもあります。

4月1日から支援費制度が導入されます。何がどのように変わるのか今は未知の世界と言わざるをえません。しかし、一歩ずつ動いているのは確かです。その動きが、春の足音と一緒に今までの生活が逃げて行く足音であってはならない事を祈りたいものです。

さて、地方自治体の合併が全国あちこちで進められています。合併には賛否両論ありますが、広域な事業が出来るメリットを求めているのが大きな目的でしょう。

兵庫頸損連絡会はこの春設立を目指して動いています。そもそも、頸損連絡会は各地域に根差した当事者の会として、より身近な情報交換とお互いの生活向上を求めて組織作りを実現するように動いてきました。

行政と違って活動エリアを狭くする事は、きめ細かな身近な真の情報を得ることが目的の一つであり、大局的な情報は全国ネットをカバーする事で得る事が出来るようになりました。

新しく会を設立したからといって障害者運動もそれに伴う活動も基本的には変わりません。が、我々を取り巻く情勢は変化しています。その変化の陰には今までに多くの先輩達が自分の身を犠牲にしてまでも一つずつ目標を勝ち取ってきた歴史が有ります。我々は先輩達が築き上げた道をさらに延ばすよう邁進して行かなければなりません。兵庫頸損連絡会は遅咲きの会となりましたが全国先輩達の会に少しでも追いつけるよう努力したいと思います。

メーリングリスト参加のご案内

兵庫の活動を盛り上げてみようと思う方、兵庫独自の情報がほしいと思う方、面白そうやから覗いてみようと思う方は、是非参加してください。参加を希望される方は連絡先までメールをください。上記アドレスにメールを送信することでメンバーとして登録させていただきます。

私の一言

急がば回れの実践編を!!

1月に行なった大阪頚損連絡会の新年会の帰りの出来事です。乗り換えでJR明石駅でエレベータに乗るためドアの前で待っていました。ちなみに明石駅に設置されているエレベータは車いすが1台しか乗れません。エレベータが下りてきてドアが開き乗り込みました。先に乗り込んだ中年のおばさんがドアを閉めずに誰かを待っていました。その時、改札の方から『待ってー!』という声とともに3人の同じようなおばさんが乗り込んできました。そのエレベータは改札階からホームに上がるだけのものです。待っている時間で一往復は出来ます。結局無理に乗り込んだおばさんたちはホームで先に降りられず『お先に-!』と言って出る私の車いすのキャスターに足を踏まれたといってかなりご立腹の状態でした。困ったのは介助をしてくれていた駅員さんでした。

文責・三戸呂克美

【会員募集のご案内です】

私たちは頸髄損傷者(略して:「頸損」と言います)です。日々の生活に不安を感じることなく安心して暮らせるように情報発信、情報交換、問題解決などの拠点として兵庫県にも頸髄損傷者連絡会(略して:「頸損連絡会」と言います)を設立します。今そのための準備を進めています。

頸損連絡会とは、頸損者の生活を明るく豊かにする目的で、東京に本部を置き全国頸髄損傷者連絡会が結成されました。各都道府県に連絡会が設立されていますが、近畿圏では、大阪、京都にそれぞれ連絡会があり、全国頸損連絡会の支部として独立した活動を行っております。兵庫県には連絡会が無く会員は大阪頸損連絡会に所属する形になっています。しかし、頸損者を取り巻く社会環境を改善するためには、各地域での活動が必須となります。特に、兵庫県はエリアが広く、行政サービスもまちまちで格差がありすぎるのが現状です。

そのような現状を踏まえて自分自身に何ができるかを考え日々の生活を明るく楽しく暮らしてみませんか。

現在、頸損のことで困っておられる方、興味がある方、ボランティアで協力してあげようと思われる方は連絡先までご連絡ください

カテゴリー: 兵庫頸損連絡会準備室だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2002冬(No.84)兵庫頸損連絡会準備室だより ~暮らしを見直せる支援費制度~

頸損だより2002冬(No.84)

兵庫頸損連絡会準備室だより

~暮らしを見直せる支援費制度~


暑い夏が終わるとすぐに寒い冬が・・・毎年同じことを言ってる今ごろ(11月)の季節です。夏ばてから解放された皆さんお変わりないですか。これからやってくる冬に備えて体力をしっかりつけときましょう。

ところで、来年度から始まる支援費制度に皆さんはどのように対処されてますか。次々に出てくる問題点に我々当事者はもちろんのこと、事業者、行政の担当者も悩みまくってますね。しかし、これらの状況を吉として我々の生活を向上させるようにもっていくチャンスだとも思います。具体的には、一人暮らしを求めている人なら今の生活の現状を把握して我慢している事でも必要と思えばサービスとして申請することが出来ます。介護者が集まらないので一人暮らしを諦めている人がおられるなら、それも申請時に申し込む事も出来ます。自分の生活をチェックしどんな些細な事でも必要なら申請しましょう。問題だらけの支援費制度ですがこのチャンスを逃す手はありません。

さて、去る、10月8日(火)兵庫県民会館で『第10回福祉のまちづくりセミナー(PDF)』が開催されました。当日は朝から曇り空で昼前からは雨が降り出し参加者も少ないだろうと思っていたら、会場(350人収容)はほぼ満席の盛況でした。私は、兵庫頸損連絡会設立準備室代表としてパネラーで参加しました。会場には会員の坂上さん、また副知事を初め県の関係者も多数見えていたので兵庫県にも頸損連絡会を作るというアピールは出来たと思います。

セミナーが終わり控え室で休んでいると『兵庫県には頸損連絡会が無かったの?』と声をかけられました。気付いてもらえた第1号でした。今後も機会を見つけては公の場でも兵庫頸損連絡会の存在をアピールして行くようにしたいと思います。

メーリングリスト参加の案内

兵庫の活動を盛り上げてみようと思う方、兵庫独自の情報がほしいと思う方、面白そうやから覗いてみようと思う方は、是非参加してください。参加を希望される方は

{ 連絡先までメールを下さい。}

上記アドレスにメールを送信し申し込み手続きをすることでメンバーとして登録させていただきます。

兵庫頸損連絡会設立準備室所在地(仮)

〒674-0068

兵庫県明石市大久保町ゆりのき通2丁目3番地の5

サウススクエア 1-205

三戸呂克美

電話 078-934-6450 e-mail : hkeison@yahoo.co.jp

私の一言

今年の5月から一人暮らしを初めて半年が過ぎた。必要な家財道具も一応揃える事が出来た。生活は多くの人の支援で成り立っている。友人や知り合いからは快適に過ごしているか、と聞かれるが『快適ですよ』と正直応えられない。時間をかけ、実験を繰り返し住居の環境整備に力を入れた。その点は申し分のない形が出来上がった。だが、施設生活が長かったのか快適に過ごすというイメージが出てこない。一人暮らしを決めたとき描いた生活は確かにあった。冒頭には一人暮らしを勧める事を書いたのにここでは逆の事を書いている。「しっかりせーよ」、と自分を責めたくなる。

『大切なのはただ生きているということではなくて、よく生きるということなのだ』というソクラテスの有名な言葉がある。快適な・・・という言葉に惑わされ楽しく生きる事を忘れていたようだ。

(文責:三戸呂克美)
カテゴリー: 兵庫頸損連絡会準備室だより | コメントする

大阪頸損連絡会「頸損だより」2002秋(No.83)兵庫頸損連絡会準備室だより ~医療行為って?~

頸損だより2002秋(No.83)

兵庫頸損連絡会準備室だより ~医療行為って?~

「今年の夏はなぜこんなに暑いの?」という会話があちらこちらで聞こえた夏でした。皆さんの周りではいかがでしたでしょうか。ええ!あなた自身が言い出しっぺだった。確か私も朝起きると開口一番「暑い!」と言ってましたね。頸損にとっては辛く、厳しかった今夏でしたが、体調の方はいかがですか?崩された方は無理せず身体を休めましょう。

さて、先日と言っても7月20日ですが、大阪頸損連絡会主催の勉強会が長居公園内の障害者スポーツセンター研修室で開催されました。テーマは『空洞症について』です。初めて聞く病名という方もいてるでしょう。

頸損になったとき、『頸損』って知らなかったという方がいたように『空洞症って何?』というのが正直な気持ちだと思います。当日は4人の方の貴重な経験を聞かせてもらいました。勉強会の内容報告は、事務局にお任せして、参加者としてどうだった、という感想を述べます。

まず、発表者の方全員が言われた事が共通していました。それは、身体に異常が起こり始め不安との戦いの毎日だった事。治療や手術を実施するまでに情報収集に時間がかかったこと。金属で障害部位を固定しているのでMRIが撮影できないといわれた事。今では解決できている事が当時では障害となり、治療、処置が遅れたこと。

そして必要な情報を得て治療、処置、手術ができるとわかってからも実施に躊躇した事。発表者の皆さんが言われた躊躇した理由、それは、機能低下が確実に残るということが医者の説明からもわかっていた。状態が今より悪くなるという事がわかっていながら処置をしなければならない。しかし、実施しないともっと悪くなる。さらに、実施して障害部位を取り除く事が出来ても、再発するという。再発も、1年目、2年目、3年目・・・それすらわからない。一生しないかもしれない。これだけのことがわかっていても、治すのは手術しかない。これが、空洞症の実態です。

頸損になり不自由な身体で生活を余儀なくされた者にとって症状固定の診断を受けたとき、神からのお墨付きでこれ以上悪くなる事はないと思っていました。

今回の勉強会に参加して、症状固定をしたということで省みなかった身体をしっかり見つめなおすよい機会であり、今までの考えを大きく変える一日でもありました。

4人の発表者の皆さん貴重な経験、ご意見、アドバイスを有難うございました。

お知らせ

兵庫頸損連絡会設立をアピールしてきます

来る、10月8日(火)13時30分~17時の時間帯で、兵庫県民会館9階大ホールに於いて『第10回福祉のまちづくりセミナー(PDF)』が開催されます。基調講演のあとパネルディスカッションがあり、パネリストの一人として三戸呂が参加します。テーマは『参画と協働による福祉のまちづくりの新たな展開』です。参加費は無料ですので皆さん参加してください。詳細については下記まで連絡ください。

連絡先:兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所

電 話:078-927-2727(呼)

私の一言

医療行為って?

5月より6年間お世話になった自立生活訓練センターを退所して、明石市大久保町で一人暮らしを始めました。もちろん多くの方の支援を得ての暮らしです。その中には公的なヘルパーさんも派遣されています。ある朝の事です。私は自己導尿といってセルフカテーテルを使用して排尿をしています。しかし時々、そのカテーテルが入り難い時があります。時間をかければ大概できるのですが、その日はヘルパーさんの来るのが遅く、来たときはいつもの帰る時間でした。何かトラブルがあったという事でした。私の介助を済ませて次の場所に移動する時間になっていた事もありそのヘルパーさんは少々あせっていました。そんなことはわからない私は、カテーテルを必死になって入れていました。急ぐヘルパーさんに、私は途中まで入れたカテーテルをもう少し深く入れて欲しいと頼みましたら、医療行為だから出来ない、というのです。もう少し、あと2センチほど入れる事で排尿できるのです。と、お願いしても、医療行為は出来ないの一言で手伝ってもらえないのです。これじゃ、時間がいつになるかわかりませんよ、と言っても医療行為は出来ないの一点張りです。そうこうするうちに派遣会社に電話を入れて時間に遅れる理由を話し出しました。そのうちカテーテルも無事入りその日は事なきをえたのですが、緊急時に今回のような態度を取られたらおそらく救急車を呼ぶ事になっていたでしょう。我々が生活する上で医療行為って何がどこまでを言うのでしょうね。

(文責:三戸呂克美)
カテゴリー: 兵庫頸損連絡会準備室だより | コメントする