第2回全国頸髄損傷者連絡会・日本リハビリテーション工学協会 in KANSAI

外に出ようや!
様々なバリアを乗り越えて外に出るための工夫
第2回全国頸損連絡会・日本リハ工学協会 合同シンポジウム

実施報告 多数のご参加ありがとうございました
 今回で2回目となる合同シンポジウムを、2009年3月7日(土)、ニチイ学館神戸ポートアイランドセンターにて、2団体共催で開催した。「外へ出ようや!~様々なバリアを乗り越えて外に出るための工夫~」のタイトル通り、外へ出てくれた262名の約半数が障害者と介助者であった。午前は隣接する神戸花鳥園と、8社による福祉機器展の見学を行った。このシンポジウムをきっかけに遠方から参加した障害者が多く、本テーマである「外へ出ようや」の目的はこの時点で達成できた。
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JR北新地@東西線

エレベータはホームの西端にあるので西口改札しか利用できない。
西口改札は駅員が少ないので通過に時間がかかる場合がある。
JRおでかけネット-北新地駅
のバリアフリー情報のページは備考を見ないと勘違いする(した)。
京阪電車まで地下で連絡できる日が待ち遠しい。

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ポートライナー ポートアイランド南駅花鳥園前⇒ニチイ学館(2009-03-07)

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新神戸駅 新幹線⇒市営地下鉄(2009-03-07)

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三宮駅(市営地下鉄・阪急・JR・阪神⇒ポートライナー)(2009-03-07)

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2008夏(No.106)兵庫頸損連絡会だより ~全国総会大阪大会終わる~

頸損だより2008夏(No.106) 2008年7月26日発送

兵庫頸損連絡会だより

~全国総会大阪大会終わる~


去る、5月10日、11日の二日間にわたり全国頸損連絡会総会が大阪のど真ん中で開催された。今大会の参加人数は今までの記録を塗り替える盛大なものであった。内容等の詳細については大阪支部の報告を待つとしてちょっと短い全国総会四方山話をしてみよう。

私の記憶が正しければ、大阪での総会開催は4回目になる。全国総会が東京で毎年開催されていたとき、東京から出てどこか違う場所で開催しては、という声が上がり始めていた。そして引き受けたのが1990年5月に開催を決めた大阪頸損連絡会である。今は、各支部持ち回りのようになっているがこの形が取れるようになった元はといえば大阪から始まったのである。しかしスムースに事が運ぶとは誰もが思っていないし認めてもいた。

今回の大会準備においても、シンポジウムの会場探し、宿泊のホテル探しに奔走された赤尾会長だが、しかし、あえて苦労を買ったのは赤尾会長のみ知る伏線があったのかもしれない。なぜなら今回の準備の苦労を考えればビッグアイに決めれば何の心配もする必要がないぐらいである。

さて、話を戻そう。最初に引き受けたときまず宿泊場所をどこにするの、総会場所をどこにするの、全くの手探り状態である。そして何よりもお金が無~い。無いものばかりでよく引き受けたものだ。何も知らないということほど強いものはない。かえってそれが実行委員の力が結集することになる。結局、長居身障者スポーツセンターを宿泊場所にして、2階講習室に布団を敷き修学旅行の雑魚寝状態、翌日はその布団を片づけて総会会場とした。もちろん、ホテルを希望する人には斡旋する道も残した。

当時は全国総会といえば東京であり、東京に行くことが自立しているという証になっていたような時代。そして、そんな時代の自立といえば今の一人暮らしを他人介助で、という自立とはほど遠いものであり、ボランティアを求め、一緒に外出するぐらいの状況を思い描いてほしい。電動車いすで参加している人は少なく、自家用車で運転して参加するレベルの人が多いぐらいだった。兵庫からは坂上、三戸呂が参加していた。坂上はまだ学生であり若さがあふれていた。(今はおっさんになっているが)。そして坂上は常に単独での参加で東京での介助はボランティアに依頼し入浴もしていたと思う。状態としては重度なクラスに入る電動車いす使用の坂上だったが、しかし、今はどうだろうチンコントロールの電動車いすに乗っている人が当たり前で、人工呼吸器使用者も当たり前になってきている。これら頸損連絡会会員の変遷は先人達の障害者自立運動の成果であり歴史である。

今回の全国大会は盛況に終わったが我々の活動はここから新たに始まる。兵庫頸損連絡会が求めるものは、どんなに重度の障害があっても人間として自分の意思で生きて行くことができる社会である。しかし、自分好き勝手に生きて行くということではない。中には間違った解釈をして生きて行こうとする人もいるが人間としての看板を背負う限り障害があろうとなかろうと社会のルールは守らなければならない。頸損連絡会の大きな指針はセルフヘルプ活動である。セルフヘルプ活動無くて当事者運動は発展しない。

大会中にも配布したが兵庫頸損連絡会設立5周年誌ができた。編集長の桜井が心血を注いだ立派な記念誌である。また、昨年開催した「市民公開講座」のDVDも完成した。会員の皆さんにも送ります。これらの物品をセルフヘルプ活動を行うときにツールの一つとして利用されることを望みます。

大会終了後の14日、15日、16日の3日間カナダからのゲストのダンさんたちを兵庫頸損連絡会が御もてなしをすることになり、神戸(ハーバーランド周辺)、姫路城、神戸布引ハーブ園等を案内した。来日してからはかなりハードなスケジュールであったが体調も崩さず20日無事成田空港から帰路に就いた、と東京支部から連絡をいただいた。

今回の兵庫頸損だよりは、総会四方山話から入ったが、イベントの規模にかかわらず開催するための準備には大きなエネルギーがいる。多くの人のご支援、ご協力、そして当事者の積極的な動きがあって初めて成功するものと思う。赤尾会長が、ビッグアイを選ばず大阪のど真ん中を選んだのは重度の障害があってもこれだけのことができるのだ、というメッセージを送りたかったのではないだろうか。反省する点は多いかもしれないが、克服した点も多いはずである。まさに、「一人じゃないよ!」のテーマフレーズが生かされた大会であった。

(文責:三戸呂克美)
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大阪頸損連絡会「頸損だより」2008春(No.105)兵庫頸損連絡会だより~誰もがおかしいと思う自立支援法~

頸損だより2008春(No.105) 2008年3月22日発送

兵庫頸損連絡会だより

~誰もがおかしいと思う?自立支援法~

三戸呂克美

今、障害者の在宅生活が脅かされている。介護職の中核をなすヘルパーがいないのである。このまま在宅生活が続けられるのだろうかと不安に思っている人もいるだろう。私もその一人だ。最大の要因はヘルパーの単価が低いからと推定される。その証としてヘルパーの募集をしても応募がない。しかし、単価が最大の問題とは考えられない面もあるのではないだろうか。私は外出の移動に電車を利用する。車内には広告が吊られている。移動に利用した電車で、ある週刊誌の吊り広告に「老人福祉や介護はヤクザが狙っている」というタイトルの見出しが目に付いた。おまけに「福祉はもうかる」とのサブタイトル。うぁ~!これ何~!と開いた口がふさがらない。とうとうここまで来たかと思ったが、しかし、これはヤクザが搾取するという話でありヘルパーの応募がないのとは次元が違う。それじゃ、なぜ応募がないのだろうか。ヘルパーの講習会に参加する人や介護福祉士の国家試験の受験者が多いと聞くが受講修了者や合格者は一体どこにいるのだろう。

重度の障害者の生活が良くなることを目的に作られた自立支援法だがとんだ期待外れに終わっている点はだれもが周知している。だが、ここで愚痴っていても生活は良くならない。ヘルパーが集まる良い方法が有るのか無いのか、事業所も利用者もヘルパーもそして行政もそれぞれの立場でみんなで考えてみよう。どこかにスムースに流れず詰まっているところがあるように思う。

しかし、やはり大本になるのは制度を管理する法律の自立支援法がネックなのだ。国会でも議論されていることからみて改正される可能性ありと思っていいのだろうか。ころころ変わる制度に国民は翻弄される。介護保険との統合もまことしやかに言われているのも役人のオドシか脅迫としか思えない。ん!、これは新規参入をたくらむヤクザの世界ではないか。となると自己負担金は上納金か。

話をヘルパーの減少に戻そう。なり手が無い、ということではない。やりたいしもっと働きたいという声もある。しかし、社会保障が充実している職場とは言い難いこともあり、一家を背負う男性の職場とは言えないのだ。若くて心意気のある男性介護士が今の給料では生活ができない、と言って辞めていくドキュメントが放映される。だのに制度改正で単価が下げられヘルパーの中には半ばボランティアでやっている人もいると聞く。国はこのようなヘルパーに甘えていることを省みて真の自立を助ける法律を作るようにしなければ介護制度は崩壊する。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2007冬(No.104)兵庫頸損連絡会だより~めざすものは同じ!~

頸損だより2007冬(No.104) 2007年12月22日発送

兵庫頸損連絡会だより

~めざすものは同じ!~

三戸呂克美

6月に開催した市民公開講座からはや半年が過ぎようとしている。あれ以来多くの仲間が活発に活動している。やり残した人生を取り戻すかのような勢いだ。それが最重度の人工呼吸器使用者と言えば驚かれるだろうか?

しかし不思議なことに、驚くよりずっと以前から活動しているようにも思うぐらいに感じるのだ。違和感が全く無いという表現は失礼な言い方だろうが、以前からそこにいてみんなでワイワイとしゃべっていたことのように場に乱れを感じない。

人工呼吸器使用者の外出の困難さは準備の段階から始まる。出ていくことの大変さを訴えていた時代があった。準備に3日、片付けに3日それが外出の基準だった。今は機器のコンパクト化に伴い、バッテリーの小型化と容量アップの性能向上が移動や準備の苦痛から解放した。それに至るまでには多くの困難との闘いがあっただろう。また、先人の知恵と工夫の塊が今便利な機器として存在しているのだろう。多くの仲間や関係者が医療、施設、在宅の場で不安と戦っている。

今、兵庫頸損連絡会が主となってDVDを制作中である。内容は、人工呼吸器を使用して活動されている人の日常生活から行事への参加風景などが収録されている。閉じこもりの仲間や行政などへの情報提供、またセルフヘルプ活動を目的に利用できるすぐれものだ。完成後は全国の仲間に情報を提供するため全国頸損連絡会各支部の協力を得ることになっている。また、制作費については多額の費用を要するが幸い塩井基金から助成金がいただけたことで企画も充実させることができた。完成が待ち遠しい。

めざすものは同じ。 楽しい時間、楽しい日々、そして楽しい一生だ。

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2006冬(No.100)兵庫頸損連絡会だより特別版 100号誌記念に寄せて

頸損だより2006冬(No.100) 2007年1月27日発送

兵庫頸損連絡会だより 特別版

~「頸損だより」100号誌記念に寄せて~  三戸呂 克美

先ずは、「頸損だより」100号発行おめでとうございます。年4回の発行で25年間。「継続は力なり」といいますが、ここまでこれたのは編集部長に就任された方のみならず原稿を寄稿された会員の皆様、それを支えた関係者の皆様の賜物だと思います。そして、近年特に大阪頸損連絡会の活動は活発になっています。これも機関誌の充実との相乗効果だと思います。

さて、大阪頸髄損傷者連絡会(「大阪頸損連絡会」と略す)が設立されて単純計算ですと25年が経つことになります。設立当事は頸損者の会といえば東京に頸髄損傷者連絡会(現、全国頸髄損傷者連絡会)がありました。そこで発行されていた機関誌「頸損」が唯一の(専門)情報誌でした。会員になると「頸損」が送られてきますが内容は東京中心のものでした。それでも、地方では考えられない新鮮な情報に別世界をみたことを思い出します。

その当時を振り返ってみると、当事者団体として活動している頸損者の会はまだ関西にはありませんし、もちろん大阪頸損連絡会はありませんでした。しかし、「頸損友の会」という名前で長居の身障者スポーツセンターを拠点に当事者が集まり近況を話し合い情報交換をしていました。

定期的に会合が持てるようになった時を見計らい当事者団体としての組織作りを行なう事になりました。「頸損友の会」から「大阪頸損連絡会」に名称を変更し、同時に全国頸損連絡会の大阪支部になりました。名称を変更し、会則を作り、事業・行事を定期的に行なうことになり機関誌も本格的に発行することになりました。

当時は今のように、パソコン、ワープロを誰もが持っているものではありません。タイプライターが主力の時代です。まして、インターネットなんて少数の人がすることぐらいにしか思っていなかった時代に「頸損だより」は発行を続けていました。しかし、その陰には並々ならぬ努力があったのです。

初代編集部長は坂上正司さん(現、全国副会長)でした。当事「頸損だより」の発行部数は20部ぐらいだったと思います。その後100部ぐらいまで伸びるのですが、印刷に出すお金もなく郵送料金が安くなる第3種の認可も取れていないとき、家庭用コピー機で両面コピーの「頸損だより」の発行を続けました。号を増すごとに増える内容の多さを封書用切手で送れるぎりぎりの重量にする工夫は一言では語れない苦労がありました。コピー用紙1枚の質や重量の選択、封筒の選択など出来るだけ必要な情報を多く皆さんに届ける為の苦労です。仕事の合間を見てコピーした「頸損だより」を1部1部綴じて封筒に詰める、いわゆる発送作業など一連のことをやり遂げれたことは坂上さんのお父様抜きには語れません。原稿依頼にも苦労がありました。仕上げた原稿を郵送し、手書きのものはタイプで打つかワープロで清書する。写真は切り貼りするがコピー機ではきれいに出ません。何とかもっと楽にしたい、家族の手を借りるのはよくない、という考えは誰もがもっていました。会員も順調に増え続ける中「頸損だより」の部数も伸びていきます。そしてついに念願であった、郵送費割引(第三種)の取得、印刷会社への製本外注にと踏み切ったのです。

今振り返ると外出にはヘルパー派遣も無く、会活動すべてにおいてボランティア、友人、家族の手を借りて行っていました。

また、会活動をみると今で言うバリアフリー調査は名前こそ違うが同じ事を行なっていました。例えば、車椅子で入れる店調査、利用できる鉄道駅アクセス調査などがあります。ちなみに、大阪頸損連絡会の恒例行事で「街に出よう」は調査を兼ねた行事でありそのままの形で現在も続いています。

昔と今ではどちらが良いかと問われれば、もちろん今が良いと答えます。しかし、満足しているかと聞かれれば答えはNOです。すべてがゼロから始まる我々の世界ですが、問題解決に向けて、壁が高ければ高いほど、長ければ長いほど、越える力や突き進む力を強くして進めば必ず崩すことができると信じています。やらずに悔いを残すよりやって後悔する方が人生楽しいと思います。満足できる社会を目指してこれからも動き続ける大阪頸損連絡会であって欲しいと願います。

「頸損だより」100号発行を記念して感無量の一時を今は亡き、劔持雄二 氏(初代事務局長)、谷内政夫 氏(第3代事務局長)、河野雄二 氏(河野進さんのお父様で郵便料金第3種取得にご尽力いただく)に捧げたい。

1993年、「大阪頸損連絡会オールスター秋の大運動会スペシャル」に参加する三戸呂さん(第48号、1993.12.30)

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大阪頸損連絡会「頸損だより」2006秋(No.99)兵庫頸損連絡会だより~ 公開市民講座開催に燃える ~

頸損だより2006秋(No.99) 2006年9月30日発送

兵庫頸損連絡会だより

~ 公開市民講座開催に燃える ~


去る、6月3日、4日に行なわれた全国総会・神奈川大会に於いて兵庫頸損連絡会から本部役員3名が選ばれた。会長に三戸呂克美、副会長に坂上正司、事務局長補佐に宮野秀樹がそれぞれ就任する事になった。支部活動に加えて本部の活動が増え忙しくなるのは間違いない。しかし、支部活動も今まで以上に力を入れて進めて行く覚悟である。会員の皆さんのご協力をよろしくお願いしたい。

さて、来年6月のことだが、兵庫頸損連絡会が初めての公開市民講座を開く企画を進めている。講座は、過去何度か開かれているテーマ「人工呼吸器…」であるが我が国ではまだまだ知られざる世界と言っても過言でない。人工呼吸器をつけて在宅生活をされている方、またそのご家族、関係者には是非参加をして欲しい内容となる予定だ。我々の仲間にも人工呼吸器をつけて生活している方がいる。よく交流をもつ「バクバクの会」もある。人工呼吸器をつけていても制約の条件が無く、日常生活や社会生活が普通に営むことができるようになることが我々の目指す所ではないだろうか。この講座の詳細は追ってお知らせします。皆さんの参加をお待ちしています。また、実行準備にお手伝い願える方、カンパなどの賛助者も募集しています。

講座についてのお問い合わせは下記事務局まで。
● お問合せ先 ●
〒674-0068 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通2丁目3―5―1―205 (三戸呂 方)
兵庫頸損連絡会事務局(℡/Fax:078-934-6450)
e-mail:hkeison@yahoo.co.jp
HP:http://hkeison.hp.infoseek.co.jp/
ボランタリープラザ : http://www.hyogo-vplaza.jp/


ところで皆さん、自立支援法が始まってから生活に変化は出ていませんか?自己負担が発生している人は生活を切り詰めていることでしょう。外出の回数も減り、食材も変わり、電話の使用も安否確認のみにしているとか。移動に車しか使えない人にとってガソリンの値上げはもろに生活に直撃だ。今まで障害者や高齢者にとって良かった制度が軒並み無くなりつつある。各種税金の報奨金制度の廃止(全額前払いすることで割引になる)、病院外来受診時の一部自己負担、自立支援法の自己負担など出費が増えるばかりだ。年金の減額もいわば出費だ。10月から制度が事実上本格化する。障害程度の区分判定に調査員が各家庭を訪問している。100項目程度の調査で人の命までも左右することがつかめるのだろうか疑問だ。一般社会では定年を過ぎている私に就労支援の事を聞く。働きたい、少しでも収入が増えるのなら。しかし、現実を見れば、仕事ある?そのときのチェックは就労意欲無しとでも付いたのだろうか。いや、いや、そんな無責任な調査員は全国どこを探してもいないと信ずる。

何も無い所からひとつの制度が出来、改定され付け加えられして現状にあったものになる。それが本来の法治国家だろう。塩川さんが言いました。はなれですき焼き食ってるのに母屋ではお茶漬け食ってると。しかし、お茶漬けも食えず一日一食のおかゆを食ってるのが我々だ。裏金の処分に困り燃やしたり捨てたりした役所の人。もう、ええかげんにしてください。早く、急いで原点に戻ろう。日本という国に。

(文責:三戸呂克美)
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